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  街頭演説
2009年01月07日 (Wed)

 今月初めての書き込みは、またもや前回から1か月以上も間を空けてしまい、おまけに年まで空けてしまったという、シャレにもならない体たらくです。というわけで、今年初の書き込みは「です」「ます」調で丁寧にいきたいと思います。

 今日の帰宅途中、地元のJR駅前で行われていた街頭演説。朝のラッシュ時には国会議員や県会議員、市会議員といった政治家の演説は珍しくないのですが、今日の演説の主はどう見ても政治家とは縁遠い一般市民の30代と思しき男性でした。

 彼の演説の要旨は次の通りでした。

「今日の新聞にも出ていた通り、不況不況と言いながらも多くの企業は利益を上げている。そして、巨額の内部留保を抱えながらも、不況を理由に労働者を解雇している。これは断じて許せない。この怒りを経団連にぶつけようではありませんか」。

 私は歩きながらも彼の熱弁を聞いていて、ふとあることに気づいて愕然としたのです。それは、彼の言葉を聞いてそれを自分がどう受け止めたかという点でした。

 おそらく、臨時雇用か正社員かは解りませんが、彼も私と同じく経営者側の人間ではなく、社員として雇われる身の人間、あるいは雇われていた人間のいずれかでしょう。彼の姿は明日の我が身とならない保証はありません。にもかかわらず、どこかで彼の言葉を他人事と受け取っている自分がいるのです。

 「他人の不幸は蜜の味」という言葉がありますが、もちろんそんな気持ちは微塵もありません。終身雇用や年功序列といった日本従来の雇用形態はもはや過去の遺物でしかなく、さらには100年に一度と言われる世界規模の不況という状況下では、私自身いつ解雇を言い渡されるか、先行きはまったく不透明で、不確実性と常に背中合わせの状態置かれているのは間違いありません。

 にもかかわらず、彼の言葉は私にとって対岸の火事のようなもの、自分は大丈夫だという根拠のない安心感に浸っていたのです。もしかしたら、無意識下で安心感に浸っていたいと願っていたのかも知れません。明日の我が身はどうなっているかわからない、などという不安を常に抱えながら生活するのは、誰だって辛いものですから。

 ではもしも、私が理不尽な理由で解雇された身であったら、彼の演説に脚を停めて聴き入ったでしょうか?私も彼に賛同して声を枯らしながら帰宅途中の人々に訴えかけたでしょうか?彼に随行して経団連に抗議に行ったでしょうか?・・・・・答えは断じて否です。

 確かに、多くの契約社員や派遣社員、定期社員といった人々が職を失っているのは事実です。しかし、正社員以外のすべての臨時社員が解雇されているわけではないことも確かです。言葉は悪いかも知れませんが、解雇という憂き目に遭ったのは、ほんの一部の運が悪かった臨時社員に過ぎません。本人に解雇されるべき正当な理由があったわけではありませんから、解雇は必然ではなく偶然なのです。これはもう「運が悪い」としか言いようがありません。そして、私がもしそんな立場にあったら、運が悪いことを嘆いている暇などないはずです。

 運の悪さを嘆いてみても、事態が好転するはずはありません。であるならば、生きていくために自分がすべきことは自ずと明らかです。バイトで繋ぎながらでも次の定職に就くこと。それが無理ならば、思い切って解雇されることのない側に立つこと、つまりは起業家となること、そのいずれかしか選択肢はないはずです。「生きなければならない」という根本的かつ極めてシンプルな課題に直面した人間には、他の雑事にかまけている余裕はないはずです。ホームレスにまで堕ちるを良しとすればともかく、そうでなければ日々の糧を得る手段を最優先で探さなくてはならないのです。

 そう考えると、駅前で熱弁を振るっていた彼は一体どういう立場の人間だろうか?という疑問が湧いてきます。彼がもし職を失って真剣に困っている人間であれば、街頭で人々に訴えて得るものがあるのでしょうか。他の労働者たちのため?自分の明日すらままならない人間が「他の労働者のために」などと訴えかけるなどハッキリ言って笑止千万、片腹痛いことこの上ありません。

 これは私の想像に過ぎませんが、おそらく彼は職を失って途方に暮れるような窮状に追い込まれたわけではなく、むしろ時間と金には余裕がある部類の人間ではないでしょうか。そして、彼の行動はもちろん悪意から発しているわけではなく善意の表れなのでしょうけど、それはあまりに独善的・利己的な善意だと思えます。そして、家路へと向かう大勢の人々もおそらくは私と似たような印象を持ったのではないでしょうか。彼の演説に脚を停める人が誰一人としていなかったことがその証左ではないでしょうか。善意に基づく行動、それが意味を持つためには、相手がどのように受け止めるのかがもっとも重要です。いかに親切心からであっても、受け取った人間にとっては大きなお世話以外の何物でもない、というのでは意味がないのです。

No.227

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