評     価  

 
       
File No. 0767  
       
製作年 / 公開日   2007年 / 2008年06月07日  
       
製  作  国   韓  国  
       
監      督   イ・チャンドン  
       
上 映 時 間   142分  
       
公開時コピー   ふりそそぐ陽射しをどれだけ浴びたら
あなたの悲しみは消えてゆくのだろう
 

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   チョン・ドヨン [as イ・シネ]
ソン・ガンホ [as キム・ジョンチャン]
チョ・ヨンジン [as パク・ドソプ]
キム・ヨンジェ [as イ・ミンギ]
ソン・ジョンヨプ [as ジュン]
ソン・ミリム [as チョンア]
キム・ミヒャン [as キム執事]
イ・ユンヒ [as カン長老]
キム・ジョンス [as シン社長]
キム・ミギョン [as 洋品店の女主人]
オ・マンソク [as 牧師]
 
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あ ら す じ    夫を事故で失ったイ・シネは、ひとり息子のジュンを連れて夫の故郷である密陽の街に引っ越してきた。途中、車のトラブルで世話になったキム・ジョンチャンの計らいで家を借りたシネは、早速ピアノ教室を始めるのだった。
 そんなシネに密かに想いを寄せていたジョンチャンは、何かと世話を焼いてシネの気を惹こうとするが、シネにとってジョンチャンはただの愚直な俗物男でしかなかった。そして、ぎこちないが穏やかな生活を築き始めたシネに、思いもよらぬ悲劇が襲いかかる。ある夜シネが帰宅すると、ジュンの姿がどこにも見当たらなかった。そして、何者かからの身代金を要求する脅迫電話を受けたシネは、ジュンが誘拐されたことを知りショックを受ける。夫に次いでジュンまで失ってはならない、そんな一心でシネは犯人の要求通り警察には知らせず、全財産を指定された場所に届けたのだった。
 さらに悲しい知らせがシネに届く。ジュンが遺体となって発見されたのだ。絶望のあまり涙も枯れ果ててしまったシネは、心に開いた空洞を埋めるために、それまで拒否し続けていたキリスト教への入信を考えるようになる。いつも彼女の傍らで不器用ながらも彼女を愛し続けるジョンチャンの存在すら、シネの目には映ることががなかった・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    『ユア・マイサンシャイン』のチョン・ドヨンと、韓国の渥美清ことソン・ガンホが共演する作品。『ユア・マイ・サンシャイン』といいこの作品といい、彼女ほど不幸な物語が似合う女優はいないと断言したくなるほど、両作品とも次から次へと不幸の階段を突き落とされるような役柄だ。対するソン・ガンホは、私にはどう考えても(なんせ韓国の渥美清だから)コメディ向きの役者に思え、この作品でもいい演技を見せてくれる反面、さり気ない仕草にコミカルな雰囲気が感じられてしまった。そんなミスマッチと思えなくもないキャスティングもさることながら、あれほど目に見えない物を否定する現実主義者だったシネが、息子の死という苦しみから逃れたい一心で宗教(しかもあろうことかキリスト教)にすがるとは理解に苦しむ。
 私は無宗教派で、特にキリスト教を信じるくらいなら死んだ方がマシだと考えている。「汝の敵を愛せ」などと言うが、その割には「信じる者は救われる」、つまり、裏を返せば「自分を信じない者は救ってやらない」という、実に了見の狭い宗教だ。信者に「敵を愛せ」などと説くのであれば、まずは自らが信じない者に対しても広い心で救いの手を差し伸べる、それが本物の神ではないのか?さらに言えば、神が救いを行うのであれば、世界はナゼこれほどまでに不公平なのか?ありあまる財産を築き上げる人間がいる一方では、食べるものも満足に手に入らずに死んでいく子供が後を断たない、この状況を平気で見過ごすような存在は断じて神と呼ぶことはできない。「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」と言うが、だったら、「右の胸を刺されたら左の胸を差し出せ」とでも言うのか?私はそんなのはまっぴらゴメンだ。
 キリスト教の悪口を書き出すとキリがないので本題に戻すと、宗教の存在価値は神を信じることによって心の平静を得ることにある。そして、それが度を超して現実の苦しみから逃避するようなことがあってはならない。それは単なる代償行動であって、現実の苦しみに対して何の解決にもならないどころか、現実を認める能力の欠如した人間を生み出してしまう。宗教に現実の苦しみからの救済を求めてはならないのだ。シネも一時は宗教にハマってしまうが、自分が苦しんでいたにも関わらず、愛する息子を奪った男が神の赦しをえて心の平静を得ているという、その不条理さに気づき再び苦しみの中へと引き戻されるのだ。そんな分かり切ったことを今更映像にして見せつけられたことに、正直不快感を覚えずにはいられなかった。そして、シネは結局悲しみから立ち直ることができず、ジョンチャンもシネに対して何の力になることもできない。観ていて歯痒いことこの上なく、いたずらにフラストレーションだけが残る作品だった。