評     価  

 
       
File No. 0788  
       
製作年 / 公開日   2007年 / 2008年07月26日  
       
製  作  国   アメリカ  
       
監      督   テリー・ジョージ  
       
上 映 時 間   102分  
       
公開時コピー   あの日、あの場所で、
すべてが変わった。
 

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   ホアキン・フェニックス [as イーサン・ラーナー]
マーク・ラファロ [as ドワイト・アルノー]
ジェニファー・コネリー [as グレース・ラーナー]
ミラ・ソルヴィノ [as ルース・ウェルドン]
エル・ファニング [as エマ・ラーナー]
エディ・アルダーソン [as ルーカス・アルノー]
ショーン・カーリー [as ジョシュ・ラーナー]
 
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あ ら す じ    大学教授のイーサン・ラーナーは、妻グレース、10歳の息子ジョシュ、8歳の娘エマの4人でコネチカット州に暮らしていた。そんな幸せな4人家族に、ある日思いもかけない悲劇が襲いかかる。ジョシュが所属する楽団の演奏会からの帰路、リザベーション通りにあるガソリンスタンドに立ち寄った時、捕まえた蛍を逃がそうと車から出たジョシュが車にはねられてしまったのだ。
 ジョシュを轢いた車を運転していたのは、弁護士のドワイト・アルノーだった。妻ルースと離婚した彼は、週1回の息子ルーカスとの面会日を利用してレッドソックスの試合を観戦していた。ところが、試合はもつれて延長戦となり、門限に遅れそうになったドワイトは、ルースからの催促の電話もあり慌てて息子を送り届ける途中、リザベーション通りで子供をはねてしまった。そして、一旦は車を停めかけたものの、事故の拍子にダッシュボードに目をぶつけたルーカスの怪我が気がかりで、再び車のスピードを上げて現場から逃走してしまったのだった。
 警察の捜査は遅々としてはかどらず、イーサンもグレースも最愛の息子を失った悲しみのあまり、互いに罪悪感を抱いて心がすれ違う毎日を送っていた。警察の捜査が進展しないことに不満を感じたイーサンは、息子を殺した犯人を突き止めて自らの手で裁きを下そうと決意した。弁護士に捜査を依頼するために、町にあるたったひとつの弁護士事務所を訪れたイーサンは、事件の担当弁護士として皮肉なことに加害者本人であるドワイトを紹介されるのだった。しかし、その時のイーサンは、担当弁護士のドワイトが実は加害者であったことなど知る由もなかった。
 加害者であるドワイトもまた、罪悪感に苛まれる毎日を送っていた。自首しようと何度も思うが行動を起こす勇気もなく、心の痛みを抱えたまま日々を過ごしていた。そんな時、青天の霹靂のように事務所に訪れた依頼人のイーサン・ラーナー。果たして、この出会いは2人とその家族にとって、どのような結末をもたらすものになるのだろうか・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    テリー・ジョージ監督が、『ホテル・ルワンダ』の次にメガホンをとった作品。ひとつの交通事故が引き起こす悲劇を、被害者側はもちろんのこと加害者からも描いたサスペンス作品。ともすれば東者側にのみ焦点を絞って描かれがちな作品だが、決して被害者側のみに加担することなく、公平な目で見た描き方がされているのは秀逸。主役のホアキン・フェニックスとマーク・ラファロ、そして、被害者の妻役であるジェニファー・コネリーが、それぞれの立場を抑え気味の静かな演技で魅せてくれる。
 後半では、イーサンが加害者が誰であるかに気づき拳銃を購入するシーンにはヒヤッとさせられたが、結局その銃を使うことなく、復讐などという愚かでかつ無意味な行為を思いとどまってくれて安心した。彼が一言ドワイトに「死ね」と言えば、ドワイトは自らこめかみに当てた銃の引き金を引いていただろう。しかし、彼は敢えてそうはしなかった。それは、ドワイトを死なせてしまった途端、立場は逆転して今度はイーサンが良心の責め苦に襲われることは必死だからだ。ドワイトにも残された息子や別れた妻がおり、彼らがどのような思いを抱くことになるのか、それをイーサン自身が身をもって痛いほどよく知っていたからにほかならないだろう。
 ただ、残念ながら加害者であるドワイトが自首しようとしてできない歯痒さを自らに感じているのは見て取れるのだが、今ひとつ罪の意識に苛まれている様子が伝わってこない。その点さえ克服すれば、ラストシーンでのドワイトの言葉がさらに真実の重みを増しただろうと思われるだけに残念だ。