評     価  

 
       
File No. 0807  
       
製作年 / 公開日   2007年 / 2008年08月23日  
       
製  作  国   ロ シ ア  
       
監      督   ニキータ・ミハルコフ  
       
上 映 時 間   160分  
       
公開時コピー   少年の運命は、
   12人の陪審員に委ねられた。
 

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   セルゲイ・マルコヴェッキー [as 1]
ニキータ・ミハルコフ [as 2]
セルゲイ・ガルマッシュ [as 3]
ヴァレンティン・ガフト [as 4]
アレクセイ・ペトレンコ [as 5]
ユーリ・ストヤノフ [as 6]
セルゲイ・ガザロフ [as 7]
ミハイル・イェフレモフ [as 8]
アレクセイ・ゴルブノフ [as 9]
セルゲイ・アルツィバシェフ [as 10]
ヴィクトル・ヴェルズビツキー [as 11]
ロマン・マディアノフ [as 12]
アレクサンドル・アダバシャン [as 廷吏]
アプティマ・マガマイェフ [as ウマル]
 
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あ ら す じ    ロシアのとある裁判所で、ある殺人事件の裁判が行われていた。被告人はロシア軍将校だった養父を殺害した罪で第一級殺人の罪に問われていたチェチェンの少年ウマル。検察は最高刑を求刑しており、有罪となればウマルは一生刑務所に拘束されることとなる。3日間にわたる審議も終了し、市民から選ばれた12人の陪審員による評決で少年の一生が決定づけられるのだ。
 12人は改装中の陪審員室代わりに指定された学校の体育館に通されて、全員一致の評決が出るまで携帯電話を没収されて幽閉されることとなった。退役した元将校である冷静な陪審員2番の仕切りで、12人の男たちは評決を下すためにテーブルを囲んだ。隣人たちによる証言や現場に残された証拠品もあるため、当初は短時間の話し合いで有罪の結論が出ると思われた。ところが、挙手によって有罪・無罪が決せられるに至り、日本とロシアの合弁会社のCEOを務める陪審員1番がひとり無罪を主張するのだった。
 陪審員1番は自信なさげに結論を出すには早すぎるのではないかと疑問を呈し、手を挙げて終わりでいいのかと、男たちに問いただした。話し合うために、再度投票を行おうと提案。その結果、無実を主張するのが自分ひとりであったなら有罪に同意をすると言いだした。無記名での投票の結果、無実票が2票に増える。新たに無実票を投じたのは、穏やかな表情を浮かべる陪審員4番だった。ユダヤ人特有の美徳と思慮深さで考え直したと前置きし、裁判中の弁護士に疑問が湧いたと語る。被告についた弁護士にやる気がなかったと主張した。この“転向”をきっかけに、陪審員たちは事件を吟味するなかで、次々と自分の過去や経験を語りだし、裁判にのめりこんでいくのだった・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    シドニー・ルメット監督の『十二人の怒れる男』のロシア版リメイク作品。オリジナル版は私が生まれる前の作品だから、もちろん劇場で観られるはずもなく、また、ビデオやDVDでも観ていない。例えは非常に悪いかも知れないが(いや、絶対に悪い)、ちょっと『キサラギ』を思わせるような密室劇で、12人の陪審員の発言がその人間性を明らかにしていくのが面白い。それぞれ考え方も個性も異なる12人のディベートが、次第にひとつの方向に向かっていくスリルがこの作品の醍醐味だろう。そして、そのディベートが同時に事件の真相を徐々に明かしていくのだ。
 私はロシアの作品を見るのは初めてなので、もちろん知っている俳優もいなければ、上のキャスト欄に載せた誰がどの陪審員を演じていたかも全く不明なのがツラい。しかも、作品中で名前が登場するのは被告となったチェチェンの少年ウマルのみとあっては、ストーリーにしても感想にしても、何をどう書いていいのかこれほど苦しんだ作品も珍しいだろう。また、裁判のシーンがほとんど描かれていないため、誰がどういう証言をしたかも全くわからないのもツラい。160分という長尺にもかかわらず観る者を退屈させることなく最後まで引っ張っていくだけの訴求力があることが救いだろう。