評     価  

 
       
File No. 0837  
       
製作年 / 公開日   2005年 / 2008年10月04日  
       
製  作  国   中  国  
       
監      督   フォ・ジェンチイ  
       
上 映 時 間   112分  
       
公開時コピー   激動の時代に出逢ったふたり。
運命の赤い糸と家族の絆では、どちらが強いのだろうか
 

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   ヴィッキー・チャオ [as チー・ラン]
ルー・イー [as ホウ・ジア]
 
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あ ら す じ    1970年代の中国。美少女のチー・ランは、周囲の男の子の憧れの的で、両親と姉の4人で何不自由なく暮らしていた。彼女と同い年のガキ大将ホウ・ジアは、両親との3人暮らしだったが、ある時父親が亡くなってしまう。しかし、幼いホウ・ジアやチー・ランにはなぜホウ・ジアの父が亡くなったのか、その理由を知る由もなかった。
 同じ官舎で暮らしていた幼馴染みの2人は、同じ時間を過ごしながら、やがて高校生となり大学受験を迎えることとなった。チー・ランとホウ・ジアの間には恋心が芽生えており、地元の東林大を受験する成績優秀なホウ・ジアと一緒にいたいため、チー・ランも同じ東林大を目指す。結局、ホウ・ジアは見事東林大に合格し、チー・ランは東林大の分校に進学が決まった。ところが、仲間と一緒に遠出する約束をしていた日、約束の場所に現れないホウ・ジアを迎えに行ったチー・ランは、「もう訪ねてこないでくれ。理由は父親に聞け」と、ホウ・ジアに冷たく追い返されてしまう。ホウ・ジアは母親から、父がチー・ランの父親のせいで自殺した、だからだれと付き合おうと構わないがチー・ランだけは駄目だ、と釘を刺されたためだった。一方、ホウ・ジアの言葉に深く傷ついたチー・ランは、両親にホウ・ジアの言葉の意味を尋ねてみるが、2人とも言葉を濁して答えようとはせず、逆にホウ・ジアとの交際を禁じられてしまう・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    何ともメリハリに欠ける作品で、チー・ランとホウ・ジアが本当は一体どうしたいのか、そのあまりに煮え切らない態度にイライラさせられてしまった。煮え切らないのは作品の終わり方もまた然りで、ハッピー・エンドだと喜んでいいのかそうでないのか、いや、それよりも、本当にこれでラストなのか、それすら疑ってしまいたくなった。おまけに、盛り上がりを見せるシーンもなく、最後まで淡々と進行していく展開は嫌が応にも眠気を誘う。
 そもそもこの作品を観たのは、主演があの『夜の上海』でモックンと共演したヴィッキー・チャオだったからで、彼女の時に凄い美人に見えることもあれば、時には全く美人になど見えない、不思議なルックスに惹かれていたためだ。彼女、てっきり20代前半の若さだと思っていたのだが、この作品の制作当時で29歳、現在は32歳になっていると知って意外だった。高校時代の髪を三つ編みにしたチー・ランは、本当に10代で通用してしまいそうだ。
 それにしても、この作品を理解するには中国の「家」や「親子関係」を理解する必要があるように思える。もちろん、私はそんなものを予習してから観るわけではないから、作品を観ていると理解に苦しむ点が多々あった。本当に相手のことが好きだったら、親同士の確執など関係ないのではないか?ホウ・ジアの母親は確かにチー・ランの父親を憎んで余りあるだろうが、その娘には何の罪もないことは明らかだろう。なのに、息子とチー・ランの交際を認めないのは、やはり2人が結婚したならば憎いチー・ランの父親と親戚関係になることを拒んでの事なのだろうか?それほど、中国では家と家との繋がりを重要視するのだろうか?  いずれにしても、かなり期待をはずしてくれた作品であることは確かで、制作から日本公開まで3年を要しているのもその辺りに理由があるような気がする。