評 価
File No.
0865
製作年 / 公開日
2008年 / 2008年11月15日
製 作 国
イギリス / フランス
監 督
ショーン・エリス
上 映 時 間
88分
公開時コピー
鏡の中の世界は、もう一人の見知らぬ<自分>を映し出す・・・
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最初に観たメディア
Theater
Television
Video
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キ ャ ス ト
レナ・ヘディ
[as ジーナ]
メルヴィル・プポー
[as ステファン]
リチャード・ジェンキンス
[as ジーナの父]
ミシェル・ダンカン
[as ケイト]
アシエル・ニューマン
[as ダニエル]
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あ ら す じ
X線技師の
ジーナ
は、恋人の
ステファン
、弟の
ダニエル
、ダニエルの恋人
ケイト
らと一緒に、
父親
の誕生日を祝っていた。すると、突然誰もいない部屋で激しい音をたてて大鏡が割れる。そして、この小さな出来事がこれから起きる数々の悲劇の発端だったが、その時の5人は誰ひとりとしてそんなことは知る由もなかった。
その翌日、職場で帰り支度をしていたジーナは、同僚から「忘れ物か?」と尋ねられる。ずっと部屋にいたはずのジーナが、ちょっと前に帰る姿を見たと彼は言うのだった。その時は彼の言葉を何かの見間違いだと片づけたジーナだったが、やがて彼女自身も“彼女”を目撃してしまう。彼女の愛車である赤いチェロキーを“彼女”が運転して目の前を通り過ぎて行ったのだ。ジーナは迷わず車を追って駆け出すと、“彼女”が運転するチェロキーはすぐ近くのアパートの駐車場へ入っていった。“彼女”が入ったと思われる部屋のドアを開けたジーナは驚愕した。そこはジーナの部屋と全く同じ間取り、内装、家具の部屋だったのだ。ただ一つ、撮った覚えのない父親と一緒の写真を除いては。
チェロキーを運転するジーナはもう一人の自分がいることに動揺しており、不注意から対向車と衝突事故を起こしてしまう。幸いにも大きな怪我はなかったが、ジーナは事故前後の記憶の一部を喪失してしまっていた。そして、その日以来彼女は自分の周囲に奇妙な違和感を覚えるようになる。恋人のステファンは明らかに以前の彼ではなく、そのことを担当医に相談したところ、事故の後遺症で親しい人間を別人と感じてしまうカプグラ症候群であると診断される。しかし、ジーナが感じていた違和感は決して事故の後遺症などではなかった。
ある日彼女は、ステファンの部屋の屋根裏で死後相当日数を経過したと思われるステファンの遺体を発見してしまう。動転したジーナはダニエルに電話で事態を説明し危険が迫っていることを知らせるが、その電話でダニエルは意外な事実を彼女に告げた。ジーナが“彼女”を追ってたどり着いた部屋は、ジーナ本人の部屋であるというのだ。意を決したジーナは、再びあのアパートへと向かう。そして、そこで彼女の記憶が封印した衝撃の事実を目撃することになるのだった・・・・・。
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たぴおか的コメント
今年初の☆10個となった『フローズン・タイム』のショーン・エリス監督の2作目となる作品は、ファンタジーだった前作とはうって変わってサスペンスとなった。88分と尺は短めであるものの、中身は至る所に伏線やキーワードがちりばめられ、余計な贅肉を徹底的にそぎ落とした中身の濃いものだった。作品の随所に謎を解くヒントが隠されている、という意味では、昨年公開された『プレステージ』に通じるものがある。写真家出身の監督だけあって、巧みに計算し尽くされた感のある構図は見事で、スリル感に満ちたスクリーンから目を離すことはできない。ちなみに、実は冒頭でジーナがレントゲン写真を見つめるシーンで既に謎を解く鍵が提供されていたのだが、私はラストシーンで再びジーナがレントゲン写真を見つめるシーンで、ようやくそのことに気づいたのは恥ずかしい限りだ。もっとも、冒頭のシーンだけを観てその意味に気づく者もいるはずはないのだが。
そうわかって観ると、随所に作品のテーマである“シンメトリー(=対称性)”が随所に配されていることに気づく。冒頭のレントゲン写真がまさにそうであり、あるいは彼女の車のナンバー[
Y38BCY
]であるのだ。そして、時代設定が現在であるにも関わらず、携帯電話は一度しか登場せず、あとはすべて固定電話だというのも実は監督が提供した布石であったりするのだ。とにかく、一度観ただけではこの作品のすべてを理解することはまず不可能だと言っていい。私のようにこの手の謎解きが好きな人間にとっては、必ず2度以上観てみたくなる作品だ。