評     価  

 
       
File No. 0867  
       
製作年 / 公開日   2008年 / 2008年11月01日  
       
製  作  国   日  本  
       
監      督   大林 宣彦  
       
上 映 時 間   139分  
       
公開時コピー   ここから始まる人びとの物語。  

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   南原 清隆 [as 日野原健大]
永作 博美 [as 日野原とし子]
筧 利夫 [as 佐藤俊治]
今井 雅之 [as 石川]
勝野 雅奈恵 [as 山本美代子]
原田 夏希 [as くらむぼん/宮澤とし子]
柴田 理恵 [as 川田孝子]
風間 杜夫 [as 永原医師]
宝生 舞 [as 入江睦美]
寺島 咲 [as 女子高生]
厚木 拓郎 [as 駅長君]
森田 直之 [as 川田トシ]
斉藤 健一 [as 武口修太]
窪塚 俊介 [as 工藤良太]
伊勢 未知花 [as 安藤美紗]
大谷 耀司 [as 日野原健哉]
小杉 彩人 [as 日野原大輔]
高橋 かおり [as 佐藤俊治の妻]
並木 史朗 [as 喫茶店の客]
大久保 運 [as ベーカリー店主]
三浦 景虎 [as 繁寿司店主]
由井昌 由樹 [as 魚勝店主]
小林 かおり [as 総菜店のおかみさん]
吉行 由実
笹 公人 [as とし子の兄]
柴山 智加 [as とし子の兄嫁]
鈴木 聖奈
村田 雄浩 [as 村山伸吾]
山田 辰夫 [as とし子の父]
左 時枝 [as とし子の母]
小日向 文世 [as 富永]
根岸 季衣 [as かもめハウスのおばば]
入江 若葉 [as 石井さん]
峰岸 徹 [as 健大の父]
 
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あ ら す じ    今ではデザイン事務所を構える売れっ子のイラストレーター日野原健大は、妻のとし子と2人の息子健哉大輔に囲まれて、満ち足りた生活を送っていた。健大ととし子が結婚した頃は、健大には定職もなく金銭的にはギリギリの生活を送らざるを得なかったが、それでも2人でいるだけで幸せだった。2人は今、その頃を過ごした町の駅に降り立っていた。余命わずかを宣告されたとし子は、健大と2人でスタート地点に立ち戻り、今まで生きてきた軌跡を確認するように町の散策を始めるのだった。“その日”までを精一杯生き抜くために。
 2人と同じ電車に乗り同じ駅で降りた佐藤俊治。彼もまた治る見込みのない病を抱えており、そんな体に無理をしてまで少年時代を過ごしたこの町に来たのは、どうしても会って話したい幼馴染みを訪ねるためだった。そんな俊治を暖かく迎えたのは“できめん”こと石川で、やがて健大は石川と不思議な縁で出会うこととなる。
 健大ととし子の2人の息子には、母の本当の病気が何であり今どういう状態にあるのかを、とし子の希望で完全に伏せてあった。病で衰えた自分の姿を、息子たちには見せたくなかったのだ。しかしある日健大は健哉と大輔に、ママに会いに行こうと切り出した。そう、とし子の病状は悪化の一途をたどり、“その日”がすでに目前に迫っていたのだった・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    偶然にも、『秋深き』に続いて同じくヒロインが不治の病で亡くなる作品を観ることとなった。ウッチャンこと内村光良の演技は何度も観ているが、ナンチャンこと南原清隆の演技を観るのはこれが初めてだった。彼の「俺は演技してるんだ」という意気込みがひしひしと伝わってくる見事な熱演のおかげで、永作博美の演技の巧さとその演技を感じさせない自然さがさらに光って見えた。南原の台詞回しは、どう考えても映画のそれよりも舞台向けではないだろうか?あんなに気合いを込めまくって話す奴は、そこら辺を探してもまずいないと思うぞ。主役の竹中直人にブチ壊された先々週の『まぼろしの邪馬台国』同様に、この作品も南原のお世辞にも巧いとは言えない演技のため最初からしらけムードに浸ってしまい、さらにはあまりに稚拙なCGでとどめを刺された感があった。たとえば、電車の窓から見える外の風景だが、なぜ本物の景色ではなくロコツにそれとわかるCGを使う必要があるのだろうか?また、雨までもCGを使うとは驚いた。確かにCG全盛の時代ではあるものの、雨くらいは昔ながらの方法で降らせた方が遙かにマシ。
 大林監督作品といえば、『HOUSE』に始まり『転校生』『姉妹坂』『さびしんぼう』『野ゆき山ゆき海べゆき』『ふたり』と80年代から90年代にかけては立て続けに観ていたが、『ふたり』を最後に昨年の『転校生』までは遠ざかっていた。そして、昨年久しぶりに観た『転校生』は82年のオリジナルの感動からはほど遠く、本作『その日のまえに』もあまりに残念な内容だった。これは私の認識の誤りかもしれないが、大林作品にはいつもどこか一昔を思わせるようなノスタルジックな雰囲気があり、それが良くも悪くも彼の持ち味であったのだが、それを捨ててまでも時流の波に乗ろうとした結果、波からは取り残され、彼のバックボーンとも言うべき持ち味も失った今、背骨のない脊椎動物と化してしまった、そんな印象を受けるのだ。時流がどうであろうが、流されることなく自分の作品のスタイルを貫き通すべきではなかったか。でなければ、尾道三部作(私にとっては二部作なのだが)で彼の作品のファンになった観客を大いに失望させることは火を見るよりも明らかだ。私の思い入れの強さから来る単なる思い過ごしであってくれればいいのだが。