評     価  

 
       
File No. 0876  
       
製作年 / 公開日   2008年 / 2008年11月29日  
       
製  作  国   日  本  
       
監      督   中西 健二  
       
上 映 時 間   105分  
       
公開時コピー   大人は、みんな、十四歳だった。  

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   阿部 寛 [as 村内先生]
郷 奏多 [as 園部真一]
伊藤 歩 [as 島崎先生]
井上 肇 [as 石野先生]
重松 収 [as 宮崎先生]
岸 博之 [as 小泉先生]
 
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あ ら す じ    東ヶ丘中学校の新学期、2年1組に新たな担任として臨時の教師村内先生が教育委員会より派遣される。本来の担任であった高橋教諭が、「ある事件」の重圧から逃げるように休職したためだった。「ある事件」とは、親がコンビニを経営することから“コンビニくん”とあだ名された生徒・野口に対して、クラスの何名かが店から商品を盗んでくるように何度も命じたことを苦にして自殺を図った事件だった。自殺は未遂に終わったものの、野口の両親は店をたたみ一家は街から出て行ってしまったのだった。
 村内はおもむろに自己紹介の挨拶を始めるが、その言葉に生徒たちはどよめいた。彼は極度の吃音だったのだ。村内は生徒にこう語った。「先生はどもります。でも、真剣に話します。だから、真剣に聞いてください」と。そして、彼は赴任2日目にさらに生徒たちを驚かせる言動に出た。村内は学級委員の2人に、野口の机と椅子を倉庫から教室へ運ぶように命じたのだ。クラスの誰もが早く忘れたいと思い、学校側も生徒に反省文を書かせたことで安易に終わらせた事件を今さら蒸し返すような村内の行動は、生徒はもちろんのこと教師の間や果ては保護者にまでも波紋を拡げる。しかし、村内はそんな周囲の反応を無視するかのように、以後毎朝必ず野口の机に向かって「野口君、おはよう」と声をかけるのだった。
 
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たぴおか的コメント    “いじめ”という問題に真っ向から取り組んだ原作は評価したいし、この手のいわゆる「学園もの」作品は嫌いじゃないので、個人的には高い点数をつけてもいいと思う。が、冷静に見れば現実感が希薄というか、机上の空論的な内容であることも否めない。そもそも、この作品を観るかあるいは原作を読むかして何らかの物を感じ取る感性を持ち合わせていれば、いじめなどに走るようなことはないはず。
 今の時代のいじめは以前のいじめとは明らかに性質が異なる。以前のいじめであれば、もちろんいじめる側が悪いのだが、いじめられる側にもそうされるような何らかの理由があった。ところが、現在のいじめでは、確たる理由もなく単なる愉快犯としていじめる行為自体を目的としている傾向が強いように思える。そういった輩に対しては、もはやいじめられる者の気持ちを考えることや、もしも自分がいじめられる側に回った場合のことなどという思考自体が存在しないから、いくら説いても無意味でしかない。
 これに対する学校側の対応にもまた問題があり、それはそもそも根源をたどれば生徒の保護者たる親の質の劣化にある。学校で自分の子供が叱られたことに対して教師にクレームを付けるような馬鹿なことこの上ない親たちが、何かあると即座に裁判沙汰にしかねないために、必然的に学校側は不祥事を極力表沙汰にせずに内部でもみ消しを図ろうとする。いじめがあったことを見て見ぬふりは当たり前、極端な場合にはいじめを知っていても知らない振りを決め込んで学校側の責任を回避しようとするのだ。
 そういった悪循環においては、もはや道徳観や倫理観などは滅失してしまっており、残念ながら正攻法で訴えても効果は限りなくゼロに近いと言わざるを得ない。そうは言うものの、良識をわきまえた者がこの作品を観るならば、何かしら感じるところや得るものはあると思う。相手に何かを教えるということ、それは頭ごなしに押しつけても決して効果はない。焦らずに丁寧に説くことによって、徐々にでも構わないから相手に理解してもらうよう努力すること、その大切さは伝わってくる。教師を筆頭に子供に対して教えるという責を負っている大人すべてに、学ぶべき点があると思う。