評     価  

 
       
File No. 0922  
       
製作年 / 公開日   2008年 / 2009年02月20日  
       
製  作  国   アメリカ  
       
監      督   クリント・イーストウッド  
       
上 映 時 間   142分  
       
公開時コピー  
 どれだけ祈れば、あの子は帰ってくるの
 

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   アンジェリーナ・ジョリー [as クリスティン・コリンズ]
ジョン・マルコヴィッチ [as グスタヴ・ブリーグレブ牧師]
ジェフリー・ドノヴァン [as J・J・ジョーンズ警部]
コルム・フィオール [as ジェームズ・E・デイヴィス警察本部長]
ジェイソン・バトラー・ハーナー [as ゴードン・ノースコット]
エイミー・ライアン [as キャロル・デクスター]
マイケル・ケリー [as レスター・ヤバラ刑事]
 
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あ ら す じ    1928年、ロサンゼルス。37歳のシングル・マザークリスティン・コリンズは、仕事に追われながらも最愛のひとり息子で彼女の生き甲斐でもあるウォルターと幸せに暮らしていた。ある日、彼女が休日を返上して仕事に行かねばならなくなり、ウォルターを残して会社へと向かった。ところが、夕方彼女が帰宅してみると、ウォルターが忽然と姿を消してしまっていた。彼女は警察や全米の行方不明者相談所に連絡し、ウォルターの行方を探す日々が始まった。
 ウォルターが失踪してから5ヶ月後、ロス市警のジョーンズ警部からクリスティンに朗報がもたらされる。ウォルターがイリノイ州で見つかったというのだ。早速駅にウォルターを迎えに行ったクリスティンだったが、到着した列車から降りてきた少年を一目見て彼女は凍り付いた。自らウォルターと名乗るその少年は、明らかに彼女の息子とは別人だったのだ。そのことを彼女はすぐにジョーンズ警部に話すが、彼はクリスティンが動揺しているためだと一笑に付してしまう。やむなくクリスティンは、一旦少年を自宅へ連れ帰ることとなった。
 少年は本当に自分の息子で、ただ自分が動揺しており長期の失踪で容貌が変わってしまった息子を見間違えたのか?そんなクリスティンはある決定的な違いに気づく。ウォルターが失踪する直前に柱に記した身長より、少年は7センチも背が低かったのだ。やはり自分は間違っていないと確信したクリスティンは、ジョーンズ警部を訪ねて息子の捜索を続けるよう依頼するが、警部は警察のミスを認めようとしないばかりか、逆にクリスティンが母親としての責任から逃げているなどと非難する始末だった。
 そんなクリスティンに助力を申し出たのは、ラジオを通じて警察の腐敗摘発を展開するグスタヴ・ブリーグレブ牧師だった。牧師の言葉に意を決したクリスティンは、何よりも大切な息子ウォルターを取り戻すために、ロス市警と徹底抗戦する決意をするのだった・・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    クリント・イーストウッドの監督としての技量とアンジェリーナ・ジョリーの演技、2つの才能が見事にマッチして生まれた秀作。個人的にはアンジーの主演作では『ポイズン』が最も好きだが、私情を排除するならば間違いなくこの作品は彼女の代表作となるだろうと思われる。メイクのせいか40代以上に老けて見えたアンジーだが、愛する息子を取り戻すという強い信念を持つ母親役に徹し、時として鬼気迫るほど形相を呈する様は、やはり6人の子を持つ母親であればこそ為し得た業だろうか。彼女が演じたクリスティンに不満はないが、これを例えばジョディ・フォスターが演じたらどんなクリスティンになっていたのか、そんな興味も生まれてきた。
 そして、メガホンを取ったのがクリント・イーストウッドは、監督として非凡な才能の持ち主であることを証明してみせたと言っていい。LAPDという巨悪に対する一個人、そこには彼らしい反骨精神と反体制が伺える。おそらくは、法廷で警察の落ち度が認められ、ジョーンズ警部が辞職となった時点で終わりにしておけば、もっと後味のいい作品になっていただろうと思われるが、彼は決して観客に媚びることなく、それどころかさらに追い打ちをかけるように攻撃の手を収めることをしない。良くも悪くも骨太で重厚な大作を作り上げている。ただ、児童連続殺人鬼ノースコットを登場させ、そちらにもスポットを当ててしまったがために、LAPDの腐敗という醜悪さが希釈されてしまった感があるのは残念だ。
 アンジーを取り巻く俳優陣、それは巨悪と戦う牧師を演じたジョン・マルコヴィッチであり、狂気に満ちた殺人鬼に扮したジェフリー・ドノヴァンであり、あるいはクリスティンの敵の象徴とも言うべきジョーンズ警部を演じたジェイソン・バトラー・ハーナーであり、彼らがいずれ劣らぬ好演で作品を盛り上げている。特に、J・ドノヴァン扮するジョーンズ警部の憎らしいことといったら、筆舌に尽くし難いものがある。彼の演技を抜きにしたらこの作品は成立しない、それほどまでに彼の演技がこの作品に占める比重は大きい。
 この作品は実話をモチーフに描いているが、だとしたら当時のLAPD=ロス市警が、本来犯罪を抑制すべき立場にありながら、むしろ自ら進んで犯罪行為を行うようなまさに“巨悪”であったことに空恐ろしさを通り越して戦慄すら感じる。イーストウッドにとってはまさに格好の標的であったに違いない。