評     価  

 
       
File No. 0931  
       
製作年 / 公開日   2008年 / 2009年02月07日  
       
製  作  国   韓  国  
       
監      督   キム・ギドク  
       
上 映 時 間   93分  
       
公開時コピー   狂おしいほどに切ない、愛しい人に出会う夢  

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   オダギリ ジョー [as ジン]
イ・ナヨン [as イ・ラン]
パク・チア
キム・テヒョン
チャン・ミヒ
 
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あ ら す じ    別れた恋人を追って車を走らせる男ジン。右の路地から飛び出してきた車を避けきれずに追突してしまうが、相手の運転手が負傷したと思われたにもかかわらず、恋人を見失わないためにそのまま車を発信させた。すると今度は、泥酔した男が目の前を横断しようとしたために、ジンは慌ててハンドルを切り急ブレーキを踏んだ。そして、生々しい夢からようやく目を覚ます。
 あまりの鮮明な夢に不安を覚えたジンは、車を走らせて夢で見た事故現場を訪れてみる。すると、彼が夢で見た通りの事故が起きていて、間もなく警察は監視カメラから事故を起こした相手の車と運転手を突き止める。ジンは警察の車を追うと、警察はジンが夢で運転していた車が止めてある家にたどり着き、車の持ち主ランを拘束してしまった。
 ジンは警察に乗り込み、自分が夢で見たためにランが事故を起こした、悪いのは自分だと訴え出る。結局事故は示談となるが、ジンの話をランは信じようとしない。けれども、その後も自分が寝ている間に起こったことをジンが言い当てたため、ランもジンの話を信じざるを得なくなった。夢で未だに忘れられないかつての恋人を求めるジンと、ランは自ら別れを告げた嫌悪すべき男と無意識に会ってしまうラン。ジンが鮮明な夢を見始めた時期と、ランが夢遊病を発症した時期はピッタリと一致していた。
 そんな2人に、精神科医は2人が愛し合えばジンの夢は消えてランの夢遊病も治るだろうが、さもなければ不幸に見舞われるかも知れない、と告げる。そして、その日から2人は互いに眠らないように見張り合うようになる。しかし、睡魔は容赦なく2人に襲いかかり、夢は次第にエスカレートしていく。徐々に互いに惹かれ合う2人だったが、やがて夢は取り返しのつかない事態を引き起こすことになる・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    オダギリジョーは韓国で人気No.1の俳優らしく、とかく過激な描写で知れたキム・ギドク監督作にもかかわらず、韓国女優の出演希望が殺到したとかしないとか・・・・・私には全く理解不能だ。相変わらずこの作品でも大して上手いとも思えない演技を見せてくれているし、どれだけ下手なハングル語を披露してくれるのかと期待していたら、なんと彼の台詞はすべて日本語なのには驚いた。結局、韓国映画なのにもかかわらず、本国ではオダギリジョーの台詞に字幕が、日本ではオダギリジョー以外の台詞に字幕が付けられての公開という、何とも国籍不詳の奇妙な作品となった。
 オダギリジョーの演技もさることながら、相手役のイ・ナヨンも何が良くて選ばれたのか理解に苦しむ。演技が特に上手いとも思えず、ルックスも整形美人揃いの韓国芸能界では平均点レベルといったところで、これといって惹かれる仕草や表情もない。そのおかげで、彼女が苦しんでいても今ひとつ共感することができない。私に言わせれば、イ・ナヨンには失礼だが、オダギリジョー程度の役者の相手としては分相応な女優だと思える。
 ジンとランが互いに愛し合うという展開はいいとしても、だったら互いに死を選ぶのではなく、2人で生きていくという前向きな選択肢を選べなかったものだろうか。互いに愛し合うならば、死を選ぶことなど考えずにひたすら生きようとするのが人間の本能であり、その意味ではこの作品で2人がとった行動は通常ではあり得ない選択肢であり、それ故にすんなりと受け入れて2人の悲しみに共感することはできない。そこがキム・ギドクの脚本である所以と言ってしまえばそれまでなのだが、あまりに策を凝らした展開の不自然さは目に余るように思える。相手を思い自らの命を絶つことは、決して悲劇でも美談でもない。