評     価  

 
       
File No. 0937  
       
製作年 / 公開日   2008年 / 2009年03月14日  
       
製  作  国   アメリカ  
       
監      督   ヴァディム・パールマン  
       
上 映 時 間   90分  
       
公開時コピー   「どっちを殺す?」彼女の答えが引き金になり、新しい人生が始まった、はずだった。  

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   ユマ・サーマン [as ダイアナ]
エヴァン・レイチェル・ウッド [as ダイアナ(TEEN)]
エヴァ・アムリ [as モーリーン]
オスカー・アイザック [as マーカス]
ガブリエル・ブレナン [as エマ]
ブレット・カレン [as ポール]
ジャック・ギルピン
モリー・プライス
 
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あ ら す じ    哲学の大学教授である夫ポール、それに小学生の愛娘エマと共に幸せな家庭を築いていたダイアナには、過去に忘れられない傷を背負っていた。それは15年前、彼女がまだ17歳の時に起きた銃乱射事件によるものだった。
 高校時代は何かにつけ反抗的な態度でとげとげしい生き方をしていたダイアナに、初めて親友と呼べる少女が現れた。ダイアナとは反対に品行方正で内気なモーリーンとはなぜか気が合い、2人はすぐに何でも打ち明け合う仲になった。時には些細なことから険悪になることもある2人だったが、モーリーンの歩み寄りで仲直りした後はさらに友情を深める、互いにかけがえのない友人同士だった。
 そんなある日、2人は授業前のトイレで他愛ない会話を交わしていた時、外から銃声と悲鳴が聞こえてきた。ダイアナは、銃を乱射しているのがクラスメイトのマイケルだとわかった。雨の日にマイケルが「クラス全員を殺す」と言うのを聞いていたダイアナだったが、冗談だと思っていたのだ。そして、銃を持ったマイケルがダイアナとモーリーンの目の前に現れた。
 マイケルは2人に銃を向け、「どちらかひとりを殺す。死ぬのはどっちだ?」と問いかける。モーリーンは殺すなら自分を殺せとマイケルに叫ぶが、自分に銃を突きつけられたダイアナは、握っていたモーリーンの手を放し「殺さないで」と懇願してしまった。
 15年前の“選択”が忘れられないトラウマとして残っていたダイアナは、満ち足りた生活を送りながらも、その時の情景を思い出すたびに自分には生きる資格がないと罪悪感に苛まれていた。親友の手を放したという裏切りに対する赦しを得られないまま、ダイアナはその罪を背負って一生生きていかなければならないのか・・・・・?
 
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たぴおか的コメント    巧みに張り巡らされた伏線に疑問を感じながらストーリーは進み、そしてラストのダイアナの選択がわかるとその衝撃に打ちのめされる。久しぶりにこういう緻密に計算し尽くされた秀作と出会った。作品に貫かれるテーマはズバリ「贖罪」で、それは親友モーリーンに対する裏切りへの贖罪であり、また、娘エマに対する贖罪である。ダイアナが娘のエマをミッション系の学校に通わせているというのも、布石のひとつと言えるだろう。クレジット上ではユマ・サーマンが主役なのだが、実質的な主役は高校時代のダイアナを演じたエヴァン・レイチェル・ウッドだと思う。彼女の目を惹く美しさは印象的で、その演技も美貌に劣らず見事なものだった。〈以下、ネタバレ厳禁のために例によって伏せ字にするので、この作品を観るつもりがある方は絶対に観る前には読まない方がいいと思う〉。
 高校時代のダイアナが遭遇した、クラスメイトによる連続射殺事件。そして、親友のモーリーンとダイアナが犯人に追い詰められ、「どっちを殺す?」という問いかけに対するダイアナの返答如何によって、この作品は大きく解釈が変わってくる(ちなみに私は、彼女が親友を裏切って自分が助かったのだと思いながら観ていた派だった)。
 作品中には、疑問を感じずにはいられない描写が巧みに何カ所か配置されている。最初に感じた疑問は、事件で撃たれたはずの生物教師を、なぜユマ・サーマン扮するダイアナが街中で見かけたかという点だった。奇跡的に助かったのか?そして、生まれることができなかった子供たちの墓碑の中に“Emma”と書かれた墓碑を高校時代のダイアナが目にした時に感じた違和感。その墓碑が、彼女が中絶した子供のものかどうかはわからない。がしかし、その名前を自分の子供に付けるのはあまりに不自然ではないかという強い違和感。また、車にはねられたはずのユマ扮するダイアナが、なぜか軽傷すら負わずに無事だったのも謎だった。もしかしたらもう一度観るならば、見落としていた他の伏線にも気づくかも知れない。そして、衝撃のラストシーンで彼女の選択が明らかになると共に、すべての疑問を解決する答えに思い当たり、そのあまりの悲しい事実に戦慄を覚えてしまった。
 オフィシャルサイトにはパールマン監督による“答え”が掲載されており、幸か不幸か私の解釈は監督のそれと同じだった。もしも私の解釈が監督のそれと違っていたならば、どれだけ気が楽だったことだろうと思う。ちなみに、オフィシャルサイトで監督の“答え”にたどり着くためには、エンド・クレジット終了後に提示されるキーワードが必要になる。やはり、映画は最後の最後に場内の照明が点灯されるまで席を立つべきでないと改めて思い知らされた。それはともかく、「一炊の夢」という故事があるが、この作品はまさにその一炊の夢を描いた作品であり、人は死ぬ前にフラッシュバックで過去をすべて体験し直すというが、ダイアナの場合はそれが過去ではなく、未来の自分の姿だったのだ。銃を突きつけられて、一度は放した親友の手を再び両手で強く握りしめた彼女の選択は、美しいがそれでいてとても痛々しい。