評     価  

 
       
File No. 1017  
       
製作年 / 公開日   2009年 / 2009年07月04日  
       
製  作  国   日  本  
       
監      督   岩本 仁志  
       
上 映 時 間   130分  
       
公開時コピー   世界を変えるのは、
破壊か、
祈りか。
 

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   玉木 宏 [as 結城美智雄]
山田 孝之 [as 賀来裕太郎]
山本 裕典 [as 溝畑]
山下 リオ [as 美香]
風間 トオル [as 三田]
鶴見 辰吾 [as 松尾]
林 泰文 [as 橘誠司]
仲村 育二 [as 岡崎俊一]
半海 一晃 [as 山下孝志]
品川 徹 [as 望月靖男]
石田 ゆり子 [as 牧野京子]
石橋 凌 [as 沢木和之]
 
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あ ら す じ    16年前の沖之真船島で、一夜にして島民全員が死亡するという事件が起きた。原因は島で開発されていた殺人ガスMW(ムウ)の微量が漏れたことで、政府はこの事件を隠蔽するために残った生存者を虐殺し、当時島外にいた者に対しては分不相応な社会的地位を与えることと引き替えに箝口令を徹底した。しかし、結城美智雄賀来裕太郎の2人の少年は、事件当日島にいながら奇跡的に難を逃れ、生き延びていた。
 わずかながらMWを吸ってしまった結城は良心を失い、島を滅ぼした事件の謎を追い続け、その背後にいる巨悪である民自分党総裁・望月靖男と対決することのみに生きるモンスターと化してしまっていた。そして、事件に関わった者たちをためらうことなく次々と殺害していく。そんな結城を救うために、賀来は神父として神に仕える道を選んでいた。結城の暴走を知りながらも、16年前に彼に助けられた賀来は、深い絆で結ばれた結城を止めることができずにいた。
 そんな結城を、一連の殺人事件の真犯人ではないかと疑う刑事がいた。警視庁捜査一課の敏腕刑事沢木和之だった。しかし、巧妙な結城の犯罪は沢木に手がかりを与えることなく、それどころか沢木の部下・橘誠司までが、結城の非情な罠に堕ちて殺されてしまう。一方、大手新聞記者の牧野京子は、連続する殺人の被害者が全員沖之真船島の出身者であることに気づき、やがて16年前の事件を追っていたベテラン記者の手記を入手する。そして、そこに書かれたMWの存在を知るに至り賀来に会いに訪れるが、運悪くそこに結城が居合わせた。京子は結城の真の姿を知る由もなく、賀来と3人でMWが残されているという沖之真船島へと向かうのだが・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    手塚治虫氏生誕80周年を記念して実写映画化された、彼の他の作品とは一線を画す異色作だ。もちろん私は彼の作品に『ムウ』というタイトルの作品があることは知っていたものの、世に発表されたのが1970年とあってはさすがにリアルタイムで読めるはずもなく、この映画で初めて内容を知るに至った。
 映画としての評価はともかく、1970年といえば日本は行動経済成長期のまっただ中にあり、さらには大阪万国博覧会という大イベントも開催された年で、日本中が浮き立っていたような時代にこういう作品を生み出した手塚治氏の発想の新しさには感服させられる。約40年も経過した今なお古さを感じさせないストーリーは、むしろ当時に映画化されても受け入れられ難かったのではないかと思われ、今という時代だからこそ必然的に映画化された、そんな感がある作品だ。
 だから、この作品に星7個という評価をつけたのも、すべては原作者である手塚治虫氏に敬意を表したためであって、映画としての評価のみであれば残念ながらそこまでは評価しかねる内容だった。そもそも、冒頭の石橋凌扮する沢木によるカーチェイスは全く不要で、いたずらに尺を長くするだけだ。それよりも、16年前の沖之真船島での結城・賀来の2人を通して原作の持つ世界観を描くべきだったのではないか。でなければ、結城がモンスターになったとただ言葉で説明されても、今ひとつピンとこない。また、この作品だけを観ていると、賀来裕太郎という人物の存在感があまりに希薄で、加えて山田孝之の演技がそれに拍車をかけているようにしか思えないのがツラい。原作を読めば、おそらくは今以上に映画とのギャップを感じるのではいだろうか。原作に対するオマージュを大切にして欲しい作品だっただけに、残念な内容だった。