評     価  

 
       
File No. 1067  
       
製作年 / 公開日   2009年 / 2009年09月19日  
       
製  作  国   アメリカ  
       
監      督   ジム・ジャームッシュ  
       
上 映 時 間   115分  
       
公開時コピー   NO MOBILE
NO SEX while WORKING
 

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   イザック・ド・バンコレ [as コードネーム:孤独な男]
アレックス・デスカス [as コードネーム:クレオール人]
ジャン=フランソワ・ステヴナン [as コードネーム:フランス人]
ルイス・トサル [as コードネーム:ヴァイオリン]
パス・デ・ラ・ウエルタ [as コードネーム:ヌード]
ディルダ・スウィントン [as コードネーム:ブロンド]
工藤 夕貴 [as コードネーム:モレキュール(分子)]
ジョン・ハート [as コードネーム:ギター]
ガエル・ガルシア・ベルナル [as コードネーム:メキシコ人]
ヒアム・アッバス [as コードネーム:ドライバー]
ビル・マーレイ [as コードネーム:アメリカ人]
 
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あ ら す じ    ホテルのロビー。素性も名前もすべてが謎に包まれた“孤独な男”は、今回の仕事の依頼人である2人の男“クレオール人”“フランス人”と会う。彼らの依頼は、「自分こそ偉大だと思う男を墓場に送れ」だった。そして、「ヴァイオリンを探せ」という言葉と情報が記された紙切れが収められたマッチ箱を受け取ると、“孤独な男”は早速スペインへと飛んだ。
 スペイン中を巡る彼の前には、「スペイン語は話せるか?」を合い言葉に、“ヴァイオリン”“ヌード”“ブロンド”“モレキュール”“ギター”ら、コードネーム以外は素性も何もわからない仲間たちが接触してきて、そのたびに“孤独な男”はマッチ箱の中の情報を入手すると、その紙を小さく丸めて口に入れ、エスプレッソとともに飲み下すのだった。
 散々スペインを引きずり回された末に、“孤独な男”最後の情報を“メキシコ人”から手に入れると、メキシコ人と別れて“ドライバー”が運転する車で最終目的地へとたどり着く。そこは厳重な警戒が敷かれた砦のようなアジトで、彼の目指すターゲットはその中で守られた「自分こそ偉大だと思う男」、“アメリカ人”だった。“孤独な男”の脳裏には、“クレオール人”が彼に言った言葉が甦る。「イマジネーションを使え」と・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    これは私にとっては『リミッツ・オブ・ペイシェント』つまり忍耐の限界としか言いようがない。睡眠も充分で臨んだ公開2日目の12:35の回にもかかわらず、途中から猛烈な睡魔に襲われて1〜2分程度の失神が2回ほど。その理由は、あまりに静に淡々とした展開で、主人公の台詞がほとんどないという点に尽きる。
 しかも、コメディに属する作品だとはとても思えず、笑いを誘うようなシーンもなければ、ユーモアを感じるような表現もなし。唯一笑えそうな点を挙げるとすれば、主演のイザック・ド・バンコレの顔が、(故人には失礼この上ないのだが)どう見てもいかりや長介にしか見えないこと。そして、そのいかりや長介・・・・・じゃなくてイザック・ド・バンコレが、次々と連絡係と接触するのだが、そのたびに「ダメだこりゃ」なんて台詞が聞けるのではないかというあり得ない錯覚を覚えてしまった(笑)。
 19日の初日には工藤夕貴を迎えて舞台挨拶があったようだが、その工藤夕貴もクレジットでは6〜7番目で本編での登場もわずかワンシーンだけだ。もっとも、他の役もティルダ・スウィントンにせよ、ビル・マーレイにせよ、ガエル・ガルシア・ベルナルにせよ、例外なく登場はワンシーンで、唯一いかりや・・・・・ではなくイザック・ド・バンコレだけが全編を通しての出演だという、ある意味非常に珍しい構成ではある。
 そして、先にも書いたとおり、とにかく主人公の台詞がほとんどない。これほど主人公が喋らない作品は、私の記憶の中では他に思い当たらない。「台詞が少ない」という点だけで言えばビビアン・スーの『靴に恋する人魚』も台詞がほとんどなかったように記憶しているが、あの作品の場合には台詞がほとんどないのはそういう演出であって、この作品とはちょっと趣が違う。この作品では、主人公がほとんど口を開かずに、ただ相づちを打ったり首を振ったりするだけの、極端に無口な男なのだ。こういう作品にブチ当たると、「映画は苦しむ物ではなく楽しむ物だ」という自分のポリシーが揺らいでしまいそうだ。ただ、念のために言っておくと、決してつまらない作品というワケではなく、ただあまりにも抑揚がなく静かに進むために、意識を保っていることに相当な苦労を要したということなので誤解のないように。