評     価  

 
       
File No. 1080  
       
製作年 / 公開日   2009年 / 2009年10月10日  
       
製  作  国   日  本  
       
監      督   益子 昌一  
       
上 映 時 間   112分  
       
公開時コピー   父親は、犯人を追う。
刑事は、
父親を守りたかった。
 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
キ ャ ス ト   寺尾 聰 [as 長峰重樹]
竹野内 豊 [as 織部孝史]
伊東 四朗 [as 真野信一]
長谷川 初範 [as 島田]
木下 ほうか [as 伊藤]
池内 万作 [as 田中]
岡田 亮輔 [as 菅野カイジ]
黒田 耕平 [as 伴崎アツヤ]
佐藤 貴広 [as 中井誠]
酒井 美紀 [as 木島和佳子]
山谷 初男 [as 木島隆明]
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
あ ら す じ    妻を亡くし一人娘の絵摩の成長だけを支えに生きてきた長峰重樹は、娘を失って失意のどん底へと突き落とされた。「今から帰る」という携帯からの連絡を最後に消息を絶っていた絵摩が、翌日荒川の河川敷で発見されたのだ。事件を担当した織部孝史真野信一は、遺体に2名の男性による強姦の痕跡があること、死因は薬物の過剰摂取による心不全であることを知る。遺体の確認に訪れた長峰の憔悴ぶりに同情を禁じ得ない織部に対し、真野は必要以上の情報を教える必要はないとたしなめるのだった。
 警察は事件当夜に目撃された70年型セダンから犯人を絞り込んでいくが、それより早く長峰が実行犯を知るに至る。かれの家の留守電に、犯人が菅野カイジ伴崎アツヤという名前であることに加え、伴崎の住所や合い鍵の隠し場所が録音されていたのだ。半信半疑ながら長峰は留守電にあった住所を尋ねてみると、その室内で絵摩をレイプしたシーンが録画されたビデオテープを発見する。長峰は強烈な嘔吐感に襲われると同時に、菅野と伴崎に対する抑えようのない怒りを感じた。そして、伴崎の帰宅を待って菅野の居場所を聞き出すと、その場にあったナイフで伴崎を刺殺してしまうのだった。
 伴崎が殺された事件を調べる警察は、現場から伴崎と菅野が複数の女性をレイプした有様を撮ったビデオテープを発見し、犯人が長峰ではないかと疑いを持つ。そして間もなく、長峰から自分が伴崎を殺したと告白する手紙が届いた。そこには、「愛する娘をただの肉塊として扱った卑劣極まりない犯人でありながら、未成年者であるが故に極刑は望めないから、自分の手で彼らを裁く」とも書かれてあった。これを読んだ織部は、自分たち警察がしていることは菅野のような更正の見込みがないような者を助け、長峰のような被害者の未来を奪い取っているのではないかという疑問を抑えることが出来なかった・・・・・。
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
たぴおか的コメント    ただただ「切ない」としか言いようがないこの作品。確かに、現在の少年法では未成年の犯罪に対する処罰は成年のそれと比べると極めて軽く、それは更生する可能性がある少年の将来を配慮したためだが、そのことが少年犯罪を助長していないとは言い切れない。現に、刑事ドラマなどで「俺は未成年だから死刑にならない」「未成年だから少年院へ送られてすぐ釈放される」などといった台詞を耳にした記憶も一度や二度にはどとまらない。「未成年だから」という理由だけで画一的に処分するのではなく、個々のケースにつき更正の可能性を斟酌して慎重に判断されるべきだ。そして、そのような判断が不可能な現状では、少年法が正常に機能しているとは言い難い。
 この作品の主人公・長峰は、加害者であると同時に被害者でもある。たった一人の肉親である娘を奪われ、しかも犯人たちの残忍で人間性のかけらもないような扱いを目の当たりにすれば、法に代わって自分が犯人を裁こうという心情は充分理解できる。劇中で竹野内豊扮する織部が面白いことを言っている。「警察は市民を守のではなく法を守るのか?」と。これは言い得て妙で、法律では長峰のような被害者の父親の無念を晴らすことは出来ない。それどころか、加害者が未成年である場合には、被害者よりも加害者を保護することに重きが置かれてしまっているのだ。挙げ句の果てに、ラストシーンのようななんとも救いようのない結末が訪れるのだが、このラストには疑問を感じる。ここからはネタバレになるので、例によって見たい方だけどうぞ。
 ラストでは長峰が伊東四朗扮する真野に射殺されてしまうのだが、現実にあのようなケースでは射殺が許されるのだろうか?現実にあのような形で警察が犯人を射殺したら、警察に世論の批判が集中することは火を見るよりも明らかだ。まして、残忍な方法で殺された娘を持つ長峰には情状酌量の余地があり、長峰に殺されそうとしているのが何の関係もない一般市民ならまだしも、彼の娘を殺しておきながら良心の呵責など微塵も感じていない殺人犯なのだ。あくまでラストを盛り上げたいという意図から、現実にはあり得ない射殺というラストを選択したのだろうが、それではあまりに現実性を欠いて、盛り上げようとしたことが逆効果になるのではないだろうか。少なくとも私はあのラストシーンにはただ唖然とさせられるだけで、悲痛な感情が湧いてくることはなかった。