評     価  

 
       
File No. 1090  
       
製作年 / 公開日   2009年 / 2009年10月31日  
       
製  作  国   韓  国  
       
監      督   ポン・ジュノ  
       
上 映 時 間   129分  
       
公開時コピー   永遠に失われることのない母と子の絆。
すべての“謎”の先に“人間の真実”が明かされる。
 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
キ ャ ス ト   キム・ヘジャ [as 母親]
ウォンビン [as トジュン]
チン・グ [as ジンテ]
ユン・ジェムン [as ジェムン刑事]
チョン・ミソン [as ミソン]
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
あ ら す じ    とある小さな町で漢方薬の店を営むの唯一の気がかりは、知能に障害を持つ一人息子のトジュンのことだった。ある日、店の外で友人のジンテといたトジュンは、猛スピードで走ってきたベンツに撥ねられてしまう。トジュンが心配で、自分の指を切ってしまったことにも気づかずに駆け寄る母を振り払い、トジュンはジンテと共にベンツを追いかけて行った。
 母が警察に駆けつけた時、トジュンとジンテはジェムン刑事に油を絞られていた。ベンツを追った二人は、ベンツに蹴りを入れてドアミラーを破損させただけでなく、乗っていた男たちを恐喝したためだった。ドアミラーの弁償を求められると、ジンテはトジュンが壊したと言い張るが、トジュンは誰がミラーを壊したのかを思い出せなかった。そんなトジュンに母は、ジンテと付き合うのをやめるよう忠告するが、トジュンは母の言葉などは上の空で聞き流し、その夜もジンテに会うと家を出て行った。そして事件が起こる。
 翌朝、女子高生アジョンの他殺死体が廃ビルの屋上で発見された。そして、母の目の前でトジュンがアジョン殺害の容疑者としてパトカーで連れ去られていく。トジュンの無実を信じる母は、ジェムン刑事に訴えたが「もう終わったことだ」と取り合ってもらえず、一流の弁護士を雇ったものの、弁護士ははなからトジュンの刑期を短くすることだけを考えており、トジュンの無罪を証明しようという気持ちは微塵も持っていなかった。万策尽きた母は、ついに自らの手で息子の無実を証明することを決意したのだったが・・・・・。
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
たぴおか的コメント    この作品、キム・ヘジャ扮する母がどこかの山中で踊りを見せるオープニングからしてタダ者じゃないぞという雰囲気がひしひしと伝わってくる。当然、その時点ではそこがどこでありその踊りが何を意味しているのかはわからないのだが、ラストでそれがどういうシーンから繋がってきたのかがわかった時には、背筋に寒気を覚えそうになる。そして、そういった一種の「毒気」のようなものが随所にちりばめられている作品だ。
 女子高生殺害の罪で捕らえられた息子の無実を信じる母の強い思い、それがこの作品のテーマなのだが、そのシチュエーションをやたらと強調するような不自然な設定がちょっと気になった。どうやら知能に障害があるらしいが未だに親離れできないウォンビン扮するトジュンと、その息子を盲目的に信じる息子離れできない母親。母親の息子に対する愛がいかに絶対的なものとは言え、この作品の母親の息子に対する執着は度が過ぎて異常にすら感じる。いかなることがあったとしても子供を守り抜く、それだけでは単なる「偏愛」であって、親の子に対する愛情はそんな薄っぺらなものではない。子供に優しく接する以上に必要かつ不可欠なのは「怒る」ことであって、怒りを伴わない愛情で育てられた子供は絶対にロクなものにならない。そう、トジュンのようにね。
 それにしても、主演のキム・ヘジャは韓国では国民的大女優と称されるだけあって、その鬼気迫るほどの演技は見事だ。彼女のような世代の女優を主役に起用するのは、監督にしてみれば大きな冒険だと思われるが、彼女がその期待に充分応えるに足る演技を見せてくれるという確信があってのことだろう。その期待通りにキム・ヘジャが見せてくれたのは、ただただ我が子を救いたい母の執念、いや、もはやそれは執念を通り越して狂気ですらある。そして、狂気の行く末にあるものは絶望であり、その絶望がただ子供を救うことしか考えていなかった母にも待ち受けているのだ。そして、その絶望を彼女にもたらした使者が、あろうことか彼女が必死で守ろうとした息子であるとは、その痛烈な皮肉には完全にしてやられた思いだった。