評 価
File No.
1092
製作年 / 公開日
2009年 / 2009年10月31日
製 作 国
日 本
監 督
森田 芳光
上 映 時 間
110分
公開時コピー
独りじゃないから きっと
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最初に観たメディア
Theater
Television
Video
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キ ャ ス ト
小雪
[as 山吹摩耶]
黒谷 友香
[as 魚住サキ]
井坂 俊哉
[as 道上保]
山中 崇
[as 川上孝]
小澤 征悦
[as 保利満]
小池 栄子
[as 平場さくら]
仲村 トオル
[as 溝口雅也]
小山田 サユリ
[as 道上かえで]
ピエール瀧
[as 平場まさる]
北川 景子
[as 記者]
永島 敏行
[as クラブの住職]
袴田 吉彦
[as 天草大二郎]
加藤 治子
[as 神林多恵]
藤田 弓子
[as 川上たみ]
天光 眞弓
[as 摩耶の母]
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あ ら す じ
山吹摩耶
は、東京から故郷である北海道の函館へと帰ってきた。新居への荷物の積み込み作業を終えた業者に、摩耶が渡した心付けの額は10万円。驚いて拒否する業者に摩耶は言う。「では、そのお金を有効に使って、いい想い出を作ってください」。
市電に乗り込んだまま終点に着いても降車しない摩耶に、乗務員の
道上保
が声をかける。そして、道上はその客が高校時代の同級生だった摩耶だと気づく。摩耶は久しぶりに再会した道上に、同じく同級生だった
川上孝
、
平場さくら
、
保利満
、そして
魚住サキ
らに会いたいから連絡を取って欲しいと頼むのだった。
急な呼びかけのために、仲間の都合がつかずに保と2人だけで会った摩耶は、高校時代に保が世界の路面電車巡りをしたいと言っていたことを語り、その後にとんでもないことを提案した。「そのお金、わたしが出してあげようか」と。後日、摩耶から届いた小包には、世界の路面電車巡りに余りある大金が入っていた。
玉の輿に乗って贅沢な暮らしをしていたサキの夫が急死し、その通夜で高校時代の同級生が久しぶりに顔を合わせた。そして摩耶は、長距離ランナーとして将来を嘱望されていた川上孝が、練習中の故障で再起不能に陥っていたことを知る。治療をしても復帰できる保証はないし、そもそも治療にかかる大金など都合がつくわけがないと諦めていた孝に摩耶は言った。「わたしが出してあげるから」。
摩耶は平場さくらの夫・
平場まさる
や保利満にも同じように大金を差し出していった。それでいてなぜ自分には摩耶は出してくれないのか、そんな不審感を抱いたサキは、ある日摩耶の車を尾行した。摩耶の行く先は病院、そこには意識を失い昏睡状態が続く摩耶の母親が入院していたことをサキは知らない。そんなサキを摩耶は自分のアパートに連れて行き、押し入れから5個の金塊を取り出してサキに渡す。それが摩耶に残された全財産だった・・・・・。
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たぴおか的コメント
大金持ちになった主人公の摩耶が昔の同級生に次々と大金を差し出す、その発想は面白いのだが、なぜ摩耶がそんなことをしたのかという動機が全く描かれていない。そのために単なるお伽話にしか感じられず、現実感が大きく欠如していることは否定できない。もし現実であれば、そんな大金をいきなり理由も言わずに出されても気持ち悪くて受け取れないだろうし、理由をきちんと説明されたならば「少しずつでも必ず返すから」となるのが普通だろう。「なぜ私のところに来ないの?」などと摩耶を責めるサキの心境などは私の理解の範囲から遥かに逸脱している。まして、「これが残りの全財産」だなどと言われて差し出された金を、何の抵抗もなくすんなり受け取ってしまうサキには、正直天罰が下って欲しいなどと思ったほどだ(実際そういう結果になったのだが)。また、植物状態の母親と摩耶が友人にお金を差し出すという行為の因果関係も全く作品から窺い知ることはできないのも致命的だ。おそらくは、母親の病状と摩耶の行動は密接に関係しているはずであるから、その辺りの描写がないのは意図してのことなのだろうか?だとすれば、一体どういう意図があるのだろうか?原作を知らない私には知る由もないことなのだが。
お金があれば幸せになれるとは限らない。それはこの作品の登場人物を見ても明らかだ。けれども、同じ状況であればお金がないよりはあった方が幸せなのは間違いない。ただ、いきなり大金を手にした者がどういう末路をたどるか、それはその人の資質次第だと思う。それが幸いに転んだのが道上保や川上孝、保利満であって、逆に災いしたのが保の妻かえでや魚住サキなのだろう。彼ら両極端の行く末を見守りながら、摩耶は一体何を思ったのだろうか?そう言う意味では、摩耶のとった行動は極めて残酷なリトマス紙だったのかも知れない。とはいえ、仮にそうだったとしたところで、その結果が摩耶にもたらすものは何もない。だから、摩耶が大金を差し出すという行為のモチベーションが何だったのか、ますますわからなくなってくるのだ。
観る者に想像の余地を与えるのは結構なことなのだが、この作品の場合は何ら与件もなしに観る者にすべてが丸投げされているようで、その点ではあまり愉快とは言えない作品だった。