評     価  

 
       
File No. 1141  
       
製作年 / 公開日   2009年 / 2010年01月23日  
       
製  作  国   韓  国  
       
監      督   イ・ジェハン  
       
上 映 時 間   134分  
       
公開時コピー   かなわない恋だとわかってた  

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   中山 美穂 [as 真中沓子(まなか・とうこ)]
西島 秀俊 [as 東垣内豊(ひがしがいとう・ゆたか)]
石田 ゆり子 [as 尋末光子(たずすえ・みつこ)]
加藤 雅也 [as 桜田善次郎]
マギー [as 木下恒久]
 
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あ ら す じ    1975年。イースタンエアライン社のエリート社員東垣内豊は、見合いの末に婚約した貞淑な婚約者尋末光子を東京に残し、単身でバンコク支社に赴任した。野心家の豊はその点で上司桜田善次郎からの信頼も厚く、木下恒久をはじめとする同僚からも慕われていた。
 ある日、同僚たちと居酒屋でくつろいでいたところへ、木下が自分の彼女だと豪語する日本人女性真中沓子が現れた。息を飲む男達の視線を一身に受けた沓子は、席につくなりその視線を豊に注ぐのだった。そして、その初めての出会いから数日後。豊はパンナム・チームとの野球の試合でサヨナラホームランを放ち意気揚々と自宅へ帰ったところに来客が訪れる。ドアを開けると、そこには沓子が立っていた。
 沓子は「ホームランボール」だと言ってボールを豊に渡すなり、いきなり豊の部屋に上がり込んだ。そして、どちらからともなく体を重ねる2人。豊の脳裏には一瞬光子の姿が浮かんだが、沓子の魅力の前にはすべて無力だった。こうして、次からは沓子が住まいとしているオリエンタル・ホテルのサマセット・モーム・スィートに場所を変え、2人の愛欲の日々が始まったのだった。
 日本には婚約者である光子が、ただ自分だけを信じて待ってくれている、そう自分に言い聞かせて沓子との関係を断ち切ろうとする豊だったが、理性に反して感情はますます沓子にのめり込んでいく。狭いタイの日本人社会の中、そんな2人が噂にならないはずがなく、桜田や木下は豊に苦言を呈するが、豊の迷いは深まる一方だった。そんなある日、豊には内緒で日本から光子がバンコクを訪れた。そして、彼女が向かった先は豊の部屋ではなく、沓子が滞在するオリエンタル・ホテルのスィートだった。
 突然の訪問に狼狽する沓子に対して、彼女をを責める訳でもなく淡々と話を始める光子。そして、彼女の最後の一言が沓子にとどめを刺した。「お願いがひとつあります。豊さんの前から消えてください」と。最初は豊との恋愛をゲームのように楽しんでいた沓子だったが、いつしか豊への思いが本物であることに気づいていた。そして、だからこそ豊から身を引く決心をした沓子は、空港で豊の見送りを受けながら、ひとり空路をニューヨークへ向けて旅立っていくのだったが・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    原作が辻仁成の小説で主演が中山美穂とは、あまりにも手前味噌過ぎて観る前から興味は半減していたのだが、予想通り観終えた感想は「DVDで充分」だった。中山美穂扮する沓子と西島秀俊扮する豊のなれそめがあまりにも唐突過ぎて、「25年の時を経て」というフレーズが頭に残っていた私はてっきり25年前に2人は出会って恋に落ちていたのかと錯覚してしまった。それほど2人の恋の始まりには説得力がないのだ。そのために、2人の愛が単に相手の体だけが目当ての肉欲にしか思えず、以後の展開を観る目も完全に醒めてしまい、そのことが作品の評価に大きく影響してしまっている。そんな私にとってその後は、あたかも中山美穂のPVでもあるかのごとく、次々と衣装やメイクを変えて登場する彼女にただただ唖然とするだけ。ただひとつだけわかったことは、彼女にドギツいメイクは似合わないということ。スッピンに近い彼女の方が絶対に可愛いと思う。
 とは言うものの、私は昔から中山美穂があまり好きではなく、従って今さら39歳の彼女を観たところで豊が彼女に感じたような思いは微塵も湧いてくるわけがなく、「まぁ、火遊びする相手としてはいいんじゃないかな?」程度にしか思えなかった。そして、相手役の東垣内豊を演じた西島秀俊の演技はハッキリ言って酷いの一言だった。私は彼をもっと演技力のある俳優だと思っていたが、確かに『真木栗ノ穴』の真木栗のような隠微なキャラクターには向いているが、情熱を注ぎ込んで相手を愛するような、体から情熱がほとばしるような、そういったストレートなキャラクターには向いていない、いや、ズバリ言えばそういうキャラを演じる演技力がないと言うべきだろう。そして、今回のこの作品で彼はその演技力のなさを見事にお披露目してしまったようだ。上にも書いたように2人の恋愛が体だけ目的のものと感じてしまった大きな理由のひとつは、まさに彼の演技力のなさに起因していたのだ。
 作品自体の構成にも疑問を感じる。直前のシーンでは豊が冷たく沓子を振り切ったにもかかわらず、シーンが切り替わると2人が仲睦まじく寄り添っているなど、脈絡を欠いた構成(あるいは編集か?)に戸惑うことも少なくなかった。そして、25年後まで引っ張るのが私には理解できない。3年後や5年後に再開するのであれば、無理に老けたメイクをする必要もないのに。25年後の老けメイクをした西島秀俊があまりに九十九一にソックリなために、彼のアップのシーンでは思わず吹き出してしまいそなのをこらえるのに必死だった(笑)。
 「死ぬ前に愛したことを思い出すか、それとも愛されたことを思い出すか」などといういかにも思わせぶりなフレーズも、実は何の意味もない。沓子が金銭に不自由していなのはおそらくパトロンでもいるためだろうが、沓子の資金源に関しては何も触れられていない。つまりはストーリー全体を貫くバックボーンが存在しないため、作品全体を通して著しく現実感が欠如しており、すべてが砂上の楼閣のように脆く崩れ去ってしまうような空虚感に満ちている。「観てみなければけなすことはできない」というのは私のポリシーであり、そのためにしばしば「金返せ」モードの突入してしまうのだが、この作品の場合は「けなせなくても構わないから、観なければ良かった」とさえ思った。インターネットの座席予約で、同時に予約した2作品は正常に予約できたのに、この作品だけは予約番号のメールが届かなかったのだが、今思えばそれも「観ない方がいい」という警告だったのかも。