子供2人を抱えて夫に家の購入資金を持ち逃げされた母親と、夫を失い子供を義理の母に取られてしまった母親・・・・・私にはこの手の設定に対する免疫が未だにないらしい。レイは新居(と言ってもトレーラーハウスだが)のために貯めておいた資金を持ち逃げされてしまい、せっかく運んできた新居をそのまま持ち帰ろうとする業者に「近く1ドルショップの副店長になるから」とまで言ってすがりつく、その姿があまりに悲しい。その実は、確かにキャリアからいったら副店長に昇格してもいいものの、店長からはあくまで腰掛け程度にしか見られておらず、副店長への昇格など夢のまた夢だ。しかも、たかだか1ドルショップのパートのこと、もらえる給料もたかがしれている。そんな先の見えない、いわゆる“Hand to mouth”の生活を送る彼女からは“希望”の二文字は見えてこない。
一方のライラだが、彼女の根底には人種の違いというコンプレックスが強く根付いていて、そのために無意識に白人を警戒し敵視さえする。2人に共通するのは子供を抱えた夫のいない母親だというだけで、そんなレイとライラの出会いは当然ながら友好的になどというわけにはいかない。しかし、2人に唯一共通する子供のためという強いモチベーションから、呉越同舟のような共同戦線を張ることになる。辛うじて均衡を保っているような2人の関係からは、いつバランスが崩れ破綻してもおかしくないような不安定さが多分に感じられ、そこからくる適度の緊張感が作品にメリハリを与えている。
最初はレイの立場に立って作品を観ていた私は、当然ながら彼女の夫の車を勝手に使ったあげくそれを正当化するようなライラに強い反感を覚えたのだが、それが途中からは逆転してしまい、いつしかライラに共感を覚えるようになっていた。それは、子供を取り戻すために苦手な眼鏡を買ってまでもちゃんとした職に就こうとした彼女の決心が健気に思えたためであり、そんなライラに再び密入国者を運ぶ仕事をさせようとするレイへの反感からの気持ちの動きだ。そして、そんな観客の心の動きを計算し尽くしたようなラストシーンが非常に強く印象に残っている。レイのトレーラーハウスを訪れたライラが見せた安堵の微笑みに、初めて将来への微かな明るい兆しが見えたような気がした。