評     価  

 
       
File No. 1160  
       
製作年 / 公開日   2010年 / 2010年02月20日  
       
製  作  国   日  本  
       
監      督   行定 勲  
       
上 映 時 間   118分  
       
公開時コピー   歪みはじめる、僕らの日常  

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   藤原 竜也 [as 伊原直輝]
香里奈 [as 相馬未来]
貫地谷 しほり [as 大河内琴美]
林 遣都 [as 小窪サトル]
小出 恵介 [as 杉本良介]
竹財 輝之助
野波 麻帆
中村 ゆり
正名 僕蔵
キムラ 克q
石橋 蓮司
 
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あ ら す じ    ニュースでは女性ばかりを狙った連続通り魔事件が報道されている世田谷区内で、とあるマンションをシェアする4人の男女。几帳面で健康オタク、コーヒーすら口にしない伊原直輝、自称イラストレーターで酒癖の悪い相馬未来、無職で同郷の俳優との恋愛に夢中になっている大河内琴美、そして、先輩の彼女に恋をしている大学生の杉本良介。彼らはそれぞれ焦りや不安を感じながらも、現状の心地よさを壊さないよう自分を装い、微妙なバランスを保ちながら暮らしていた。
 ある日の朝、ソファで見知らぬ青年が眠っていた。誰も彼のことを知らず、最後に起きてき良介の後輩かと思われたが、良介も彼のことは知らないという。青年の名は小窪サトルといい、前夜に未来が酔った勢いにまかせて店から連れ帰ったのだった。そして、それ以来サトルもまた彼らの部屋で暮らすようになる。
 サトルが連続暴行の犯人ではないかと疑い始めた未来。恋人である俳優の子供を妊娠した琴美。サトルの思わぬ日常を目撃し、帰宅するや否や今度は琴美の妊娠の相談に乗らざるを得ない直輝。次第に歪み始めていく日常はやがて、彼らの誰もが予想もできない結末をもたらすことになる・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    ちょっとしたことでバランスを崩しかねない、そんな不安定な状態をさも当たり前のように何ら不安を感じることなく生きる若者たち。そんな彼らの関係を、オフィシャルサイトに寄せられたコメントは一様にして「恐怖」と捉えているようだが、私はそうは思わない。もしそれが恐怖であるとするならば、それは単に現代社会の縮図にである過ぎず、本当に恐いのは現在の社会そのものだとしか思えない。カオス( = 混沌)を極めた現代社会において、本当は誰ひとりとして確かな物など持ち合わせておらず、すべてが不確実でいつそれが失われるか、あるいはいつそれが姿形を変えて牙を剥くか、それは誰にもわからないのだ。ただ、普段は人は皆その不確実性に気づいていないのか、あるいは気づいていながら見て見ぬふりをしているのか、無理矢理安定していると思い込もうとしているのではないか。そういう輩がこの作品を観れば図星を突かれることになるわけで、作品に登場する5人の関係が恐いと思うことで、自分は安定しているのだと自己防衛の壁を築いているだけのように思えてならない。
 林遣都扮するサトルが連続暴行犯ではないかと疑う未来(香里奈)に対して、「未来は未来が見たサトル、良介は良介が見たサトル、琴美は琴美が見たサトルしか知らない。誰もが知るサトルは存在せず、サトルの全てを知る人間もまた存在しない」といった趣旨の台詞を直輝が吐いているが、これはこの作品の核心を突いた台詞だと思った。人間は誰もが「自分が知る自分」、「他人が知る自分」、そして、「本当の自分」という3つの顔を持っているというが、私は人間の持つ顔は2つであり、それは「人が知る自分」と「人が知らない自分」ではないかと今は思っている。つまり、人間の本質を知るという意味では、自分自身すらその他大勢の人の中ひとりであるに過ぎないと思うのだ。それが証拠に、他人から思いもしない自分の知らなかった面を指摘されることは珍しいことではない。だから、「人が知る自分」というのは、自分自身をも含めて自分が接触した人の数だけ存在するわけで、おそらく直輝はそのことを“UNIVERSE(たったひとつの宇宙)”に対して“MULTIVERSE(多元的な宇宙)”と言ったのではないだろうか。
 そのことは突き詰めると、世の中には普遍的な物など何もない、という言葉に尽きると思う。今まで普遍的だと思っていたものすべては、実はほんの一面的な判断に過ぎず、多面的な理解などは不可能だという結論に帰着せざるを得ないのだ。そして、人は誰もがそんな多面的理解を断念して、いや、実は多面的に理解していると単に錯覚しているだけかもしれず、そんな錯覚に基づいた人間関係とは所詮わずか一面的な理解にのみ成り立っている、脆くも崩れやすい関係なのかもしれない。そんな人間関係の危うさ、実は常に綱渡りを強いられるようなバランス感覚が要求される日常生活、それらを具現化・映像化したのがこの作品『パレード』ではないだろうか。この作品を観て「登場人物の関係に恐さを感じた」などとコメントを残す人ほど、実は自分自身が置かれている状況の恐さと、自分自身がいつ崩れるかもわからない砂上の楼閣の上で生きているという不確実性を再認識すべきではないかと思わずにはいられない。
 ここまで書くと、私がこの作品を「現代社会を如実に浮き彫りにした最高の作品だ」などと賞賛しているかのように誤解されかねないので断っておくが、確かに藤原竜也、香里奈、貫地谷しほり、小出恵介、そして林遣都らの演技は素晴らしいがそれでいて積極的に好きにもなれず、だから星の数も6個と控えめにしておいた。ちなみに、私は5人の主役の中で誰が恐かったかと言えば、間違いなく貫地谷しほり扮する琴美であることだけを最後に言い添えておきたい。