評     価  

 
       
File No. 1164  
       
製作年 / 公開日   2009年 / 2009年11月14日  
       
製  作  国   韓  国  
       
監      督   ホ・ジノ  
       
上 映 時 間   101分  
       
公開時コピー   10年ぶりに出会い
もう一度きみに恋をした
涙の跡にも気づかずに。
 

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   チョン・ウソン [as ドンハ]
カオ・ユアンユアン [as メイ]
キム・サンホ [as 支社長]
 
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あ ら す じ    韓国の建設重機販売会社に勤務するドンハは、新婚旅行で休暇を取った同僚の代役で中国・成都へ出張した。彼を空港に出迎えた陽気な支社長の案内で、食事を済ませた後に杜甫草堂を訪れる。そして、偶然にもそこで観光ガイドを務めるメイと、10年以上以前のアメリカ留学時代以来となる再会を果たすのだった。早速メイを食事に誘うドンハは、メイから連絡をもらう約束を取り付けて杜甫草堂をあとにした。
 その夜、メイと会ったドンハはほろ酔い気味で、学生時代にメイが好きだったことを告白した。しかし、メイはドンハの言葉を冗談半分であるかのように受け流した。そんなメイの態度に傷ついたドンハは、自分の言っていることが正しいことをメイに証明すると躍起になるのだった。そしてその翌日、仕事を終えた2人は再び会って中国料理店で夕食を共にする。食後に人々が踊りに興じる広場に行き着いた2人は、ドンハの強引な誘いにメイが応じてワルツを踊る。ところが、そんな雰囲気に水を差すように雨が降り始める。メイは杜甫の詩「春夜喜雨」の一説を引用し、「好雨知時節、良き雨は降る時を知っている」と言い残して、そのままタクシーで帰宅の途についてしまった。
 帰国の日、ドンハは空港でメイからの電話を受ける。渡したい物があるから今から空港まで行く」というのだ。必死の思いで最後まで見送るという支社長を追い返したドンハはメイと会い、中国滞在を引き延ばす決意をした。その日休暇を取ったメイと1日を一緒に過ごして幸せな気分に浸るドンハだったが、その思いも長く続くことはなかった・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    あの『四月の雪』のホ・ジノ監督の韓流作品だが、主人公のドンハを演じたチョン・ウソンは韓国人、メイを演じたカオ・ユアンユアンは中国人、舞台は中国・四川省、会話は大半が英語という国籍不詳な作品だった。そして、この作品で特筆すべきは、カオ・ユアンユアンの美しさだ・・・・・というか、それ以外にあまり見所がなかったとも言えるのだが。どんな美人でも顔のパーツひとつひとつをとってみればどこか癖があったりするもので、それが全体として調和がとれての美しさだと思っているのだが、彼女の場合にはどのパーツを見ても欠点が見当たらず、これほど全てが整った美人も珍しいと思えるほど欠点が見当たらない美形だった。これほどの美人に実は『プロジェクトBB』で既にお目にかかっていたとは、つくづく私の記憶も当てにならないものだと我ながら呆れかえってしまう。もっとも、女性のイメージは髪型ひとつで変わるものだから、当時の彼女から今と同じ印象を受けるとは限らないのだが(←自己弁護)。
 おそらくはそれがホ・ジノ監督の持ち味なのかもしれないが、『四月の雪』といいこの作品といい、主人公の煮え切らない優柔不断とも言うべきキャラクター設定には観ていて苛立ちすら感じてしまう。他の監督であればサッと通り過ぎてしまうようなシーンを無理矢理引き延ばしている、そのために作品全体が希釈されてしまったような物足りなさを感じずにはいられないのだ。だから、通常であればこの作品全体の内容が起承転結で言えば「起」の部分でその先がどうなるかを知りたいのに、この作品はそこで終わってしまっている。
 また、どこか戸惑うメイの態度に、裏にドンハには言えない秘密を隠していることは容易に想像がつくが、それがどういう事情なのかわかってしまうと実に他愛なく、私に言わせればそんなものはドンハとの恋に踏み出すための何の障害にもならない取るに足らないものに過ぎない。それをあたかも容易には越えられない大きな障壁のように描くホ・ジノには、正直あざとさすら感じる。チョン・ウソンも好きな俳優だっただけに、作品の脚本の弱さは致命的だったように思えた。