評     価  

 
       
File No. 1191  
       
製作年 / 公開日   2009年 / 2010年04月10日  
       
製  作  国   アメリカ / ニュージーランド  
       
監      督   ニール・ブロカンプ  
       
上 映 時 間   111分  
       
公開時コピー   人類、立入禁止。  

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   シャールト・コプリー [as ヴィカス]
デヴィッド・ジェームズ [as クーバス大佐]
ジェイソン・コープ [as クリストファー・ジョンソン]
ヴァネッサ・ハイウッド [as タニア]
ナタリー・ボルト
シルヴァン・ストライク
ジョン・サムナー
ウィリアム・アレン・ヤング
グレッグ・メルヴィル=スミス
ニック・ブレイク
ケネス・ンコースィ
 
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あ ら す じ    南アフリカに突如巨大な宇宙船が現れ、ヨハネスブルク上空で動きを止めた。攻撃を仕掛けてくるでもない宇宙船の内部には、膨大な数の異形のエイリアン達が飢えて衰弱していた。人類は彼らを難民として第9地区に受け入れ、人類とエイリアンの共同生活が始まったのが今から28年前のことだった。
 エイリアンの数は増え続け、多発する犯罪に市民とエイリアンとの抗争は日常化し、第9地区はスラム化していた。そんな状況を打開すべく、超国家機関MNUはエイリアンを強制収容所に移住させることを計画し、エイリアンとの交渉役にMNU幹部を義父に持つヴィカスを選んだ。
 早速ヴィカスは第9地区のエイリアンを戸別訪問して立ち退きを通告して回るが、クリストファー・ジョンソンと呼ばれるエイリアン宅で銀の円筒を発見する。好奇心から円筒の蓋を開けたヴィカスは、中から噴き出した黒い液体を浴びてしまい、それ以来彼は体調の不良を訴えるようになった。そして、やがて彼の体にはある変化が現れるようになり、それは人類とエイリアンとの関係を大きく変えるきっかけとなるのだった・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    舞台はナゼかアメリカではなく南アフリカのヨハネスブルグ、登場する俳優はほとんど無名のうえ、これが初監督というニール・ブロンカンプの作品だが、予想を裏切る面白さだった。舞台となる南ア共和国といえば、真っ先に思い浮かぶのが人種差別政策であるアパルトヘイトだが、そんなシチュエーションでこの作品を制作したということは、アパルトヘイトを人類とエイリアンという対立構造にオーバーラップさせることが目的なのだろうか。それにしては、エビ(shrimpではなくprawn)そっくりのエイリアンと人類は極めて平和的(もちろん皮肉)に共存しているように思える。
 『ブレアウィッチ・プロジェクト』や『クローバーフィールド』のようなハンディ・カメラでの映像で、主人公ヴィカスがエビたちを第9地区から別の地区への移住交渉が続けられる前半は、正直言って作品の趣旨を理解しかねていた。ところが、後半に入って堰を切ったようにSFアクション色の極めて強い展開に切り替わる。人間であるヴィカスとエイリアンのクリストファーの間に共通の目的を持つ者としての連帯感が生まれ、やがてそれは単なる無機的な関係から転じて一種の友情のような感情へと変化していく。クリストファーを子供の元へと送り届けるために自らMNUとの戦いに身を投じるヴィカスと、彼を置いていけないと躊躇するクリストファーには胸が熱くなる。単純に人類VSエイリアンという対立よりも、エイリアンを助けようとする人間に対して同じ人間が争うという対立の方がより共感を得られるものなのだ。
 そして何よりも強く印象に残っているのは、ラストで映される一体のエイリアンの姿だ。締めくくりとなるラストシーン次第では作品を台無しにしてしまいかねないが、作品あの悲哀感以外にこの作品のエンディングはあり得ない、そう言っても過言ではない秀逸な締めくくりになっている。