評     価  

 
       
File No. 1302  
       
製作年 / 公開日   2010年 / 2010年10月30日  
       
製  作  国   日  本  
       
監      督   松本 佳奈  
       
上 映 時 間   105分  
       
公開時コピー   あしたへは、ダイジなことだけもってゆく。  

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   小林 聡美 [as セツコ]
小泉 今日子 [as タカコ]
加瀬 亮 [as ヤマノハ]
市川 実日子 [as ハツミ]
永山 絢斗 [as ジン]
光石 研 [as オトメ]
もたい まさこ [as マコト]
田熊 直太郎 [as ポプラ]
伽奈 [as ある人]
 
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あ ら す じ    古都、京都に越してきた女性3人。ウイスキーしか置いていないバーを営むセツコ、コーヒー店を経営するタカコ、そして豆腐を作り売りするハツミ。ある日、ハツミの店に一人暮らしの初老の婦人マコトが訪れ、買った豆腐を店先で食べていきたいと言う。マコトは店の前を通りかかった、銭湯で働くジンを手招きし、彼にも豆腐を食べていくよう引き留めた。それ以来、店に訪れる客に豆腐を店先で食べないかと、ハツミは勧めるようになった。
 セツコのバーに訪れた各工房で働くヤマノハは、どうやら馴染み客のようだ。その日、彼が腰掛けた椅子が壊れ、セツコはその椅子は前から具合が悪かったという。ヤマノハは、翌日にもその椅子を自分が直すとセツコに約束した。
 タカコの店から流れるコーヒーの香りに誘われて店に入ったハツミ。その後何度かタカコの店を訪れたハツミは、やがてタカコから食事に誘われるようになる。ジンが働く銭湯の主人・オトメもまた、タカコの店の常連となるのだった。
 セツコの店でハツミはセツコと知り合い、タカコとセツコはハツミの店の前で赤ん坊のポプラを連れたマコトを介して知り合った。こうして、共に他所から越してきた3人の女性は、周囲の人々との何気ない触れ合いを心地よく寛治ながら、この街で今日を生きていく・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    主演が小林聡美で、キャストにもたいまさこ、加瀬亮、市川実日子、光石研って、『めがね』とどこがどう違うのか?オフィシャルサイトを開くと、小林聡美の声で作品のコピーが流れるのは『プール』と全く同じじゃないか?後で知ったのだが、この作品は『かもめ食堂』『めがね』『プール』と同じ製作チームによる一連のプロジェクトとのこと。さすがに、これだけ同じようなスローライフを見せられるのが続くと、観る方にも飽きがくるのではないだろうか。
 だから、同じプロジェクトだと知らなくても、露骨に『めがね』『プール』が連想されるキャスティングのこの作品を観るか観ないか迷うところだったのだが、結局劇場で観ることとなった決め手は小泉今日子が出演すること、地元千葉県のTOHOシネマズで1館だけだが上映されることの2点だった。タイトルの『マザーウォーター』とは、言うまでもなく母なる水。バーにもコーヒー店にも豆腐屋にも水は不可欠で、加えて京都の疎水や小川のせせらぎが「水」を充分に感じさせる作品ではあった。
 作品の舞台が京都だということは、作品を見終えてからオフィシャルサイトを見てやっと確信できた。それというのも、町の雰囲気は京都だとしか思えないのにもかかわらず、登場人物が誰ひとりとして関西弁を話さないために、一体どこが舞台になっているのか最後まで判別がつきかねたためだ。もっとも、セツコ、タカコ、ハツミの3人は他の場所から移ってきたという設定だから関西弁無しでもおかしくないが、それ以外の全員が標準語(唯一、八百屋のオバチャンだけが関西弁だったが)というのは違和感を感じずにいられない。そして、こういう作品で野暮なことは言いたくないが、セツコ、タカコ、ハツミの3人から生活感が全く感じられないのもいかがなものかと思う。3人とも自営業ということになるわけだが、作品を観る限りあの程度の客の入りでは、間違いなく店は赤字経営なはずで、なのに3人からは金を稼ぐことに対する切迫感や悲壮感といったものが全く感じられない。そういう現実感の欠如のためか、まるで御伽の国の情景を観ているような、不思議な雰囲気が全編に漂っている作品だった。『めがね』や『プール』のようなシチュエーションであればそれもアリなのだとは思うが、今の日本を舞台にして、あり得ないような生活感が欠如したのほほんとした空気が流れるこの作品は、一種のファンタジーだと解釈するべきなのかもしれない。