評     価  

 
       
File No. 1339  
       
製作年 / 公開日   2009年 / 2010年10月09日  
       
製  作  国   韓  国 / フランス  
       
監      督   ウニー・ルコント  
       
上 映 時 間   92分  
       
公開時コピー   祈るように待ちつづけた。  

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   キム・セロン [as ジニ]
パク・ドヨン [as スッキ]
コ・アソン [as イェシン]
パク・ミョンシン [as 寮母]
ソル・ギョング [as ジニの父]
ムン・ソングン [as 医師]
 
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あ ら す じ    1975年。貧しいながらもと2人で幸せに暮らしていた9歳の少女ジニ。ある日彼女は新調したばかりのよそ行きの服を着せられ、父に連れられてソウル郊外へとやって来た。そこは孤児が集められたカトリックの児童養護施設で、高い塀と鉄格子の門の中では、幼い子供たちが遊んでいた。ジニは父と引き離されて子供たちがいる部屋に通された。わけもわからないままに父親と引き離されたジニは外へ飛び出すと、父は既に閉ざされた門の向こうに背を向けて去っていってしまった。
 自分は孤児ではない、父は必ず迎えに来てくれる、そう信じるジニは、食事にも口を付けずに反抗を繰り返す。他の子供たちは皆周囲に溶け込もうとしないジニを疎ましく思う中、ひとり先輩スッキだけはジニの面倒を見てくれた。そしてジニも、次第にスッキだけには心を開くようになっていく。そして、スッキと2人で怪我をした小鳥を見つけたジニは、他の子供たちには内緒で小鳥の世話を始めた。
 ある日施設に、健康診断のために訪れた医師から、なぜこの施設に来たのかを尋ねられたジニは、安全ピンが原因だと語り始めた。ある日、父と新しい母との間に生まれた赤ん坊の足に安全ピンが刺さっていて、それをジニの仕業だと誤解されたという話を、ジニは涙ながらに語るのだった。それでもなお、父が必ず自分を迎えに来てくれると固く信じて祈るように待ちつづけるジニだったが、やがて転機が訪れる。
 養子を迎えるために施設に訪れたアメリカ人夫婦が、スッキとジニに興味を持ったのだ。アメリカでの暮らしを夢見ていたスッキはすっかり舞い上がり、ジニに一緒にアメリカへ行こうと誘った。それでもここに残ると頑なに言い張っていたジニだったが、やがてその心もほぐれてか、スッキと一緒ならアメリカに行ってもいいと思うようになるのだが・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    1997年のフランス映画『ポネット』もそうだったのだが、この作品でも小さな女優キム・セロンの名優ぶりには目を見張るものがある。父に捨てられた9歳の少女ジニを演じたキム・セロンは、撮影当時ジニと同じ9歳。『冬の小鳥』という邦題は、ジニとスッキが見つけて面倒を見ていた小鳥のことだろうか。結局2人の世話の甲斐なく小鳥は死んでしまうが、その死がジニの行く末を暗示していなければいいと強く思う。
 とにかく、キム・セロン演じるジニの眼差しに、観ている者の目が釘付けになることは必至だ。そう思って、帰宅後改めて劇場のHPに書かれたこの作品のコメントを読んでみると、“"目ヂカラ"がものすごくいいです。ポスター画像の女の子の目にご注目です。”とあった。やっぱり、皆感じることは同じなんだね。
 施設に預けられてからも、ひたすら父親が自分を迎えに来てくれることを頑なに待つジニが愛おしい。特に、施設に訪れた医師に頑なだった口を開いて、涙をこぼしながら語り始めたシーンには、観ている自分の方が泣き出したい気分になってしまった。できることなら、ジニに「お父さんはジニが嫌いになって施設に預けたんじゃない。ジニの幸せを願ったからこそ、お父さんも辛い思いを我慢してジニを手放したんだよ。」と言ってあげたい、そんな気持ちがこみ上げる、私の最も気に入っているワンシーンだ。
 そんなジニは、果たしていつ自分が父に捨てられたと納得したのだろうか?スッキに誘われて一緒にアメリカに行こうと言った時か、あるいはそのスッキが一人でアメリカ人夫婦の養子になって施設を去っていった時なのか。幼い少女には過酷と言えばあまりに過酷な体験だからこそ、フランス人夫婦の養子となることが決まり、ひとりでパリへ飛んだジニの行く末が幸せであって欲しいと願わずにはいられなかった。