評     価  

 
       
File No. 1350  
       
製作年 / 公開日   2009年 / 2011年01月22日  
       
製  作  国   アメリカ  
       
監      督   F・ゲイリー・グレイ  
       
上 映 時 間   108分  
       
公開時コピー  
正義とは何か
 

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   ジェイミー・フォックス [as ニック・ライス]
ジェラルド・バトラー [as クライド・アレクサンダー・シェルトン]
レスリー・ビブ [as サラ・ロウェル]
ブルース・マッギル [as ジョナス・キャントレル]
コルム・ミーニイ [as ドゥニガン]
ヴィオラ・デイヴィス [as エイプリル・ヘンリー市長]
マイケル・アービー [as ガルザ]
レジーナ・ホール [as ケリー・ライス]
グレゴリー・イッツェン [as ウォルデン・アイガー]
エメラルド・エンジェル・ヤング [as デニス・ライス]
クリスチャン・ストールティ [as クラレンス・ジェームズ・ダービー]
アニー・コーレイ [as ローラ・バーチ判事]
リチャード・ポートナウ [as ビル・レイノルズ]
マイケル・ケリー [as ブレイ]
ジョシュ・スチュワート [as ラパート・エイムス]
ロジャー・バート [as ブライアン・ブリンガム]
 
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あ ら す じ    フィラデルフィア。愛する妻とひとり娘との3人で平凡だが幸せに暮らしていたクライド・シェルトンの人生は、ある日無残にも引き裂かれた。2人の男が自宅に押し入って妻と娘を惨殺し、クライド自身も重傷を負ってしまうという悲劇に見舞われたのだ。事件を担当したのは、フィラデルフィア随一の有罪率を誇る敏腕検事のニック・ライスだったが、彼の有罪率の高さには裏があった。裁判で確実に有罪を勝ち取るために、被告人と司法取引を繰り返してきた結果の有罪率の高さだったのだ。
 クライドが司法取引をやめるよう懇願するのも虚しく、ニックは独断で被告人と司法取引の手続きを進めていく。その結果裁判では、従犯のエイムスに死刑が言い渡されたのに対し、実際にクライドの妻子を手にかけた主犯のダービーが数年の禁錮刑という不条理な判決が言い渡されてしまう。ニックがダービーにエイムスにとって不利となる証言をさせて、その見返りに彼の罪を軽減するという取引を行った結果だった。裁判後、微塵も反省の色のないダービーと握手を交わすニックを遠くから苦虫を噛みつぶすような思い出見つめるクライドの胸の中は、やり切れない思いでいっぱいだった。
 それから10年が経過し、一児の父となったニックは部下のサラや同僚のジョナスと共に、エイムスの死刑執行に立ち会っていた。ところが、無痛の薬物で静かに息を引き取るはずのエイムスが、薬物を注入されたとたん苦痛にのたうち回った挙げ句に絶叫して事切れるという異変が起きた。何者かが薬をすり替えたことは明らかで、現場に残された遺留品には「運命には逆らえない」と記されていた。ニックはその言葉がかつてクライドを襲った時にダービーが残した言葉だと気づき、既に刑期を終え出所しているダービーを訪ねるが、麻薬所持の発覚を恐れたダービーは逃亡してしまう。
 数日後、ダービーは無残に切り刻まれた死体となって発見される。エイムス並びにダービー殺しの容疑者と目されたのはクライドで、彼は警察がやって来るのを待っていたかのように、自ら進んで逮捕を受け入れた。けれども、クライドが2人を殺害したという決定的な証拠は一切なく、自白を要求するニックに対して思わぬ取引を申し出てくる。しかし、それは以後行われるクライドの司法制度自体に対する驚くべき報復の単なる発端に過ぎなかった・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    深夜1時前に終了するナイトショーでしかもこの日4本目の鑑賞とあって、疲れのあまり寝てしまうのではないかと心配されたが、そんなものは全くの杞憂に終わった。タイトルの“LAW ABIDING CITIZEN”を直訳すれば「法を遵守する市民」、実に含みのあるタイトルだ。そして、この作品の凄みは自ら製作にも名を連ねているジェラルド・バトラーの鬼気迫る演技に負うところが大きい。
 ジェイミー・フォックス演じる正義の代理人であるべき検察官・ニックが、その実態は自らの有罪獲得率を上げるために司法取引連発というとんでもない輩だ。もちろん、司法取引という法に則った制度がある以上は、彼の行動は決して「悪」ではなく、それどころか彼なりの「正義」に則った行動だとさえ言える。もちろん、それは被害者であるクライドにとっては泣き寝入りに等しく許し難いものであるが、普遍的な正義などという概念は存在しないわけで、根本的にニックの正義とクライドの正義は相容れないものであるから、クライドもまた自分なりの正義に訴えるしか術がなかった。それが、司法制度そのものに対する報復であって、だからそれがたとえ法を犯す行為だったとしても、クライドにとっては「正義」であったと言えるのだ。
 結局はクライブの「正義」がニックの「正義」に勝利し、ニックは自らが正義と信じて行ってきた司法取引を拒絶する結果となるわけだ。ただ、それにはニックが「正義に目覚めた」などという陳腐な言葉は当てはまらない。ニックがそれまで拠り所としてきた正義が形を変えただけのことなのだ。そのトリガーは、それまで自分が行ってきた司法取引がもたらした条理な判決に蹂躙されてきた人々の痛みを、ニック自身が身をもって体験したことだ。人は所詮他人の痛みなどわからない、我が身に降りかかってみないとその痛みを理解することはできないということの証左でもある。
 クライブが行った法に対する報復の数々は、激情に任せての行動どころか冷静かつ緻密に計算し尽くされたもので、それは同房の囚人をプラスティックの先割れスプーンでめった刺しに殺した時にさえ、実はその根底には悪魔的とも言える深い意図が隠されている。独房にいながらに次々と報復を行っていくクライドの共犯者は一体誰なのか?その真相が明らかになった時に、彼が敢えて独房に移されるような行動をとったかも明らかになるのだ。すべての謎がニックによって解き明かされた時、クライドが司法取引を持ちかけたところ、ニックはこれを断固として拒否した。クライドの目的はほぼ達成されたと言えるのだが、もしも時間を戻せるものならばダービーの裁判の時のニックにそうあって欲しかった、クライドがそう思っただろうことは間違いない。