評     価  

 
       
File No. 1440  
       
製作年 / 公開日   2011年 / 2011年07月16日  
       
製  作  国   日  本  
       
監      督   宮崎 吾朗  
       
上 映 時 間   95分  
       
公開時コピー   上を向いて歩こう  

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト
(声の出演)
  長澤 まさみ [as 松崎海]
岡田 准一 [as 風間俊]
竹下 景子 [as 松崎花]
石田 ゆり子 [as 北斗美樹]
柊 瑠美 [as 広小路幸子]
風吹 ジュン [as 松崎良子]
内藤 剛志 [as 小野寺善雄]
風間 俊介 [as 水沼史郎]
大森 南朋 [as 風間明雄]
香川 照之 [as 徳丸理事長]
白石 晴香 [as 松崎空]
小林 翼 [as 松崎陸]
 
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あ ら す じ    1963年、東京オリンピックが開催される前の年の横浜。海が見える高台にある下宿屋コクリコ荘を切り盛りしているのは、“メル”という愛称で呼ばれる16歳の高校2年生、松崎海だった。海は朝起きると下宿人たちの朝食の準備をし、庭先に出て信号旗を掲げるのが日課だった。そして、いつも海から彼女が掲げる旗を見ていたのは、父の操縦するタグボートで海と同じ高校に通っていた3年生の風間俊だった。
 ある日海は妹に付き合わされて、新聞部の俊を訪ねて文化部の部室が集まる古い建物、通称“カルチェラタン”に足を踏み入れる。中は長い間掃除もされず荒れ放題だったが、海は不思議とその雰囲気に暖かさと好感を感じた。そして、取り壊されようとしていたカルチェラタンを守る運動の先陣を切っていた俊たち新聞部の手伝いをすることになる。それ以来、海は毎日のようにカルチェラタンを訪れることになり、やがて海と俊は互いに惹かれ合っていく。
 ところがある日、俊の様子がいつもと違うことに気づいた海が問いただしたところ、俊からは思いもしない返答が返ってきた。俊は一枚の古い写真を海に見せ、自分の本当の父親だとそこに写っていた一人を指を指したのだ。その人物とは、驚くべきことに亡くなった海の父親であり、つまりは海と自分は実の兄妹だと俊は言うのだった・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    前作『ゲド戦記』が散々だった、宮崎吾朗監督の2作目となるこの作品。予告編で手嶌葵が歌う主題歌を聞かされ(声の吹き替えも下手だったけど、歌もお世辞にも上手いとは言えないね)、主役の女の子・松崎海の吹き替えがまたもや手嶌葵だったら、正直観るのをやめようと思っていた。幸い海の声が長澤まさみチャンだとわかり、だったらと劇場で観ることにしたものの、果たしてそれが吉と出たかそれとも凶と出たか・・・・・。そう言えば、今回風間俊の声を担当したのは、ゲド戦記でも主役のアレンの声を吹き替えた岡田准一だけど・・・・・彼の声優としての技量も、手嶌葵同様に決して褒められたものではないと思うのは私だけだろうか。
 この作品の原作となっているコミックは、1980年頃に少女誌「なかよし」に連載されて不発に終わった作品らしい。なぜ30年も前の少女コミックを原作に選んだのかは意図不明だが、それが不発弾だとなれば、なおさら原作の選定に疑問を感じる。もしかしたら、不評だったコミックを映画化してヒットさせ、自らの力量を認めさせようという宮崎吾朗の自信の表れだったのかもしれないが、だとしたらその意図は完全に裏目に出てしまっているようだ。
 作画が非常に美しいのは認める。そして、長澤まさみチャンの吹き替えが海にピッタリと合っていて、その点は期待以上だった。ところで彼女、名前は海なのになぜメルって呼ばれてるのかな・・・・・と思い調べてみたら、どうやらメル(MER)はフランス語で海を意味するところから来ているようだ。舞台となった1963年という時代に、果たしてフランス語のあだ名で呼ぶような洒落た真似ができる人間がいたかどうかは大いに疑問ではあるのだが。
 観ていて95分の尺が異様に長く感じてしまうのは辛いところで、とにかく盛り上がりが全くないままに終始淡々と展開するのは、特に子供にとっては退屈この上ないだろう。『崖の上のポニョ』では押井守に「老人の戯言」と揶揄されながらも、観る者に何かを感じさせる宮崎駿監督の域には、いくら親子とは言ってもまだまだほど遠いようだ。作品中で「まるで安っぽいメロドラマ」という台詞があったが、作品自体がその「安っぽいメロドラマ」になってしまっているんじゃないかな。自分たちが実の兄妹だという告白のシーンを観ても、何の感情も喚起されることがないんだから。互いに惹かれあった少年と少女が実の兄妹だなんて、原作であるコミックにも責任があるとはいえ、原作をアニメ化していかに観る者に訴えるかという点においては、残念ながら及第点をあげるわけにはいかない。特に、ジブリの看板を背負っている以上はね。