評     価  

 
       
File No. 1499  
       
製作年 / 公開日   2010年 / 2011年11月05日  
       
製  作  国   アメリカ  
       
監      督   ジョン・キャメロン・ミッチェル  
       
上 映 時 間   92分  
       
公開時コピー   大きな岩のような悲しみは
やがてポケットの中の小石に変わる。
 

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   ニコール・キッドマン [as ベッカ・コーベット]
アーロン・エッカート [as ハウイー・コーベット]
ダイアン・ウィースト [as ナット]
マイルズ・テラー [as ジェイソン]
タミー・ブランチャード [as イジー]
サンドラ・オー [as ギャビー]
ジャンカルロ・エスポジート [as オーギー]
ジョン・テニー [as リック]
ステファン・メイラー [as ケヴィン]
マイク・ドイル [as クレイグ]
ロベルタ・ウォーラッチ [as ロンダ]
パトリシア・カレンバー [as ペグ]
アリ・マーシュ [as ドナ]
イエッタ・ ゴッテスマン[as アナ]
コリン・ミッチェル [as サム]
 
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あ ら す じ    郊外の閑静な住宅街に暮らすベッカハウイーのコーベット夫妻。彼らの幸せな生活が一変したのは8か月で、4歳になる一人息子のダニーが犬を追って道路に飛び出して車に撥ねられ、わずか4歳でこの世を去ってしまったのだ。それ以来、2人の心には埋めようのない欠落感が生まれていた。ダニーとの思い出を大切にして前に進もうとするハウイーとは対照的に、亡き息子の面影に心掻き乱されるベッカ。同じ痛みを共有しながらも、夫婦の関係は少しずつ綻び始める。
 ハウイーの提案で、夫妻は身近な者に先立たれた人々のグループセラピーに参加することになる。だが、やり場のない苛立ちから、ベッカは他のメンバーに辛辣な言葉を浴びせて退席することになってしまう。立ち寄った実家でも、母親のナットとの間には気まずい空気が漂う。ところがその帰り道、ベッカはバスに乗ったひとりの少年を目撃し、ついバスの後をつけて彼の家の前まで来てしまう。そして再び少年を尾行したベッカは、ばったりと図書館でその少年と鉢合わせしてしまう。その少年ジェイソンは、8か月前にダニーを車で轢いた高校生だったのだ。
 ベッカには彼を責めるつもりはなかった。ぎこちない対面を果たした2人は奇妙な安らぎを覚え、やがて公園のベンチで会話するのが日課となってゆく。ジェイソンが図書館で借りていた『パラレルワールド』を読んでいることを打ち明けたベッカに、ジェイソンはそれを参考に描いた漫画を差し出す。タイトルは『ラビット・ホール』。科学者の父親を亡くした少年が、パラレル・ワールドに存在する別の父親を探すため、“ウサギの穴”を通り抜けるという不思議な物語だった。
 一方セラピーにひとりで通っていたハウイーは、ある日同じセラピーを受けていた女性ギャビーが車の中でマリファナを吸うのを目撃する。そして、彼もギャビーと一緒にマリファナを吸ったのをきっかけに、2人の仲は急接近していく。幾度となくほつれかける夫婦の絆。ベッカとハウイーは、再び共に歩み出すことができるのだろうか・・・・?
 
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たぴおか的コメント    主演のニコール・キッドマンが自ら製作に名を連ね、アカデミー賞とゴールデン・グローブ賞で主演女優賞にWノミネートされた作品。結果は既に周知の通り、鉄板とも言うべき『ブラック・スワン』のナタリー・ポートマンの前に、無冠に終わっているけどね。この作品で見せるニコール・キッドマンの、無理に平静を装いながらも子供を失った悲しみを隠しきれない、そんな微妙で複雑な演技はさすがで、それをあたかも当たり前のようにごく自然に演じてしまう辺りが彼女の凄さと言っていいだろう。でも、如何せん作品自体が地味過ぎて、観客に対するアピール度合いという点では『ブラック・スワン』の足下にも及ばないのは明らかだ。
 「子は鎹(かすがい)」という言葉がある。子供がいない夫婦は相手を夫としてあるいは妻として横の関係で接するものだが、子供ができた途端に夫婦の関係は変わってしまい、互いを子供の父親、子供の母親として子供を介して縦の関係で接するようになる。子供はまさに夫婦をつなぎ止める鎹の役割を果たしているのだ。そんなかけがえのない子供を失ったハウイーとベッカのコーベット夫妻の悲しみが深いであろうことは察しがつくが、残念ながらその経験がない私にはそれがどれほど辛いのかを無責任に云々することはできない。ただ、その辛い出来事がベッカとハウイーの心に決して癒されることのない傷を残したことは確かで、同時にそれは夫婦の関係にも修復不能な亀裂を生じさせたのだ。
 ベッカは子供を思い出させるような物はすべて捨ててしまいたいと願う。そして、1日を子供の思い出が染みついた家で過ごすことが多い主婦のベッカは、家さえも売ってしまいたいとまで思い詰める。それに対して夫のハウイーは、子供との思い出にいつまでも浸っていたくて、毎晩のように子供を撮影したスマートホンの動画を愛おしそうに見ているのだ。もちろん、家を売ることなど考えられない。そんなハウイーにベッカにはさぞかし苛立ちを覚えたことだろうし、子供の動画を誤って消去してしまったベッカに対し、ハウイーは理性ではわかっていながらもベッカを責めずにはいられないのだ。そんな2人からは、双方共に相手のことを直視することを忘れ、もはや存在しないのにもかかわらず、子供を通して間接的にしか相手を見ることができなくなっているのが明らかだ。ベッカを主人公として描かれている作品だから、知らず知らずのうちにベッカに感情移入してしまいがちだが、それは決していずれかが正しくいずれかが間違っているというものではない。
 偶然に出会うが、最初は彼が一体何者なのかは明かされず、徐々にベッカとの関わりが明らかになるような作りになっている。そして、こういう作品に限って私は珍しく事前にオフィシャルサイトであらすじを確認していたりするのだ(笑)。おかげで、前半の楽しみが半減したかもしれない。残念ながらジェイソンとの再会によってコーベット夫妻の関係に劇的な変化が訪れるんじゃないかという期待は、見事に裏切られたね。その辺りがこの作品が地味過ぎると感じた最大の要因かもしれない。