評     価  

 
       
File No. 1510  
       
製作年 / 公開日   2011年 / 2011年11月19日  
       
製  作  国   香  港 / 中  国  
       
監      督   ベニー・チャン  
       
上 映 時 間   131分  
       
公開時コピー   守れ。
人々の希望のため
 

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最初に観たメディア  

Theater

Television

Video
 
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キ ャ ス ト   アンディ・ラウ [as 侯杰(こうけつ)/浄覚(じょうかく)]
ニコラス・ツェー [as 曹蛮(そうばん)]
ファン・ビンビン [as 顔夕(がんせき)]
ジャッキー・チェン [as 悟道(ごどう)]
ウー・ジン [as 浄能(じょうのう)]
ユエ・ハイ [as 方丈(ほうじょう)]
ユィ・シャオチュン [as 浄海(じょうかい)]
ション・シンシン [as 索降図(ソルント)]
シー・イェレン [as 浄空(じょうくう)]
 
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あ ら す じ    辛亥革命後の1912年。未だ中国全土では争いが絶えず、少林寺の僧侶たちはそんな戦いで傷ついた人々の救援活動を行っていた。そんなある日、逃亡した敵の大将を追って馬に乗った軍人たちが少林寺に土足で踏み込む。粗暴で傲慢な将軍・候杰(アンディ・ラウ)は、少林寺の中で敵の大将を無残に撃ち殺したうえに、山門に掲げられた看板に「少林寺恐れるに足らず」などと殴り書きをして少林寺を愚弄するのだった。
 権力拡大の野望を抱く候杰にとっては力こそがすべてだった。ある夜、義兄弟の契りを結んだ将軍の息子と自らの娘の婚約式の場で、候杰は腹心の部下・曹蛮に将軍を亡き者にするよう命じる。ところが曹蛮は、将軍のみならず候杰をも殺そうと企て、娘を守ろうとして負傷した妻の顔夕が行方知れずとなってしまう。り、候杰はかろうじて娘を連れて逃げ出したものの、曹蛮が放った追っ手に襲われ、愛する娘が瀕死の重傷を負ってしまう。そんな候杰がたどり着いたのは、奇しくも彼が愚弄した少林寺だった。
 僧侶たちの手当をうけたものの、娘が助からなかったことに候杰は怒り狂い、僧侶に当たり散らす。しかし、落ち着きを取り戻した候杰は、かくまってもらった少林寺の厨房係悟道の家で剃髪し、出家することを決意する。やがて悟りを開き“浄覚”の名をいただいたいた候杰だったが、彼が生きていたことを知ったは曹蛮は、少林寺ごと候杰を葬り去るべく、イギリス兵を同行して寺に攻め入ってくるのだった・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    またやってしまった。何も考えずにネットで座席予約をして、劇場で発券したらチケットには<日本語吹替版>の文字が。上映スケジュールを確認してみたら、字幕版は最終回が20時台の回で、私が選んだのは23:30の上映回。確認もせずにすべて字幕版と思い込んだ私が悪いのだが、それにしても字幕版の方が遅い時間まで上映するのが普通じゃないのだろうか?
 1982年に公開されて、未だにアジア映画の日本における興行成績1位を誇る、主演のリー・リンチェイ(ジェット・リー)がその研ぎ澄まされた型と技で多くのファンを獲得した『少林寺』をベースに、新たな物語として製作されたアクション大作。時代設定は奇しくも先日の『1911』で描かれた辛亥革命後の1912年なのだが、同じ時代だとは思えないのは、少林寺がある登封市という場所柄のためだろうか。
 前作がジェット・リーなんだから、どうせなら『新』の方もジェット・リー主演でいいんじゃないか思ったりするのだが・・・・・前作のイメージを壊さないためか、それとも前作のイメージを『新』にオーバーラップさせないためか、今回の主演はアンディ・ラウとなった。でも、彼はジェット・リーと違って、本格的なカンフー・アクションなんてこなせるのだろうか?その点だけが心配だった。まぁ、映画の中だけなら運動神経と身体の柔軟性があれば何とかなるんだろうけどね。
 そのせいか、彼の本格的な組み打ちのシーンは少なかったように思える。そして、これが映画出演99作目となるジャッキー・チェンだが、彼が武術はダメな厨房係という役柄なのも残念な設定だった。ただ、やはりカンフーを扱った作品で彼が脇役を演じるのにはどうしても違和感を感じてしまう。だって、どう見てもアンディ・ラウ扮する浄覚よりも強そうにしか思えないから(笑)。使い慣れた大鍋を使ったり、敵をいつもこねている小麦粉に見立ててのコミカルなアクションはさすがに手慣れたもので、ワンシーンだけだが嬉しい配慮だった。そして、この作品で最も強烈なオーラを発しているのが、曹蛮を演じたニコラス・ツェーだ。不思議と私は『PROMISE プロミス』を筆頭に彼が悪役を演じているのしか印象に残っていないが、この作品でもほとばしるような「悪」が観ていて逆に気持ちいい。
 クライマックスシーンでは想像を絶するほどの火薬の量が使われた爆破シーンが迫力充分。そして、当然のことながらいかに武術の達人であっても、重火器の前には為す術もなく次々と倒れていく少林寺の僧たち。浄能が仲間を救うために自らかんぬきになって串刺しになるシーンや、浄空と索降図の一騎打ち、そして銃弾を浴びて息絶える方丈、そんなシーンはあまりに痛ましい。浄覚も命を捨てる覚悟で曹蛮を改心させようとするのだが、自らを犠牲にしてまで曹蛮を救うのには正直疑問を感じた。どちらも同じ命で、だったら浄覚が助かっても曹蛮が助かっても同じじゃないのか?さらに言えば、自らの身を挺して助けてくれた浄覚に曹蛮は涙を流すのだが、それまでの曹蛮の言動を考えると、あんなにたやすく涙するような男とは私には到底思えない・・・・・。