評     価  

 
       
File No. 1521  
       
製作年 / 公開日   2010年 / 2011年12月17日  
       
製  作  国   フランス  
       
監      督   ジル・パケ=ブランネール  
       
上 映 時 間   111分  
       
公開時コピー   ただ、伝えたい。
決してあなたを忘れはしないと。
 

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   クリスティン・スコット・トーマス [as ジュリア・ジャーモンド]
メリュジーヌ・マヤンス [as サラ・スタルジンスキ]
ニエル・アレストリュプ [as ジュール・デュフォール]
エイダン・クイン [as ウィリアム・レンズファード]
フレデリック・ピエロ [as ベルトラン・テザック]
ミシェル・デュショーソワ [as エドアード・テザク]
ドミニク・フロ
ナターシャ・マスケヴィッチ
ジゼル・カサデサス
 
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あ ら す じ    夫と娘とパリで暮らすアメリカ人女性記者ジュリア・ジャーモンドは、45歳で待望の妊娠をはたす。ところが、報告した夫ベルトランから返って来たのは、思いもよらぬ反対だった。そんな人生の岐路に立った彼女は、ある取材で衝撃的な事実に出会う。夫の祖父母から譲り受けて住んでいるアパートは、かつて1942年のパリのユダヤ人迫害事件でアウシュビッツに送られたユダヤ人家族が住んでいたというのだ。さらに、その一家の長女で10歳の少女サラ・スタルジンスキが収容所から逃亡したことを知る。
 1942年。一斉検挙が行われた朝、サラは弟を納戸に隠して鍵をかけた。すぐに戻れると信じて。しかし、両親と共にヴェルディヴ(冬季競輪場)へ収容されたサラたちユダヤ人に対する扱いは、想像を絶するものだった。移送先の収容所から、仲間と共に逃げ出したサラは、親切な老夫婦に助けられ、そこでフランス人として育てられることとなった。そんなサラがいつも身につけていた錆び付いた鍵、それは弟を隠した納戸の鍵で、サラは片時も弟のことを忘れることはなかった。やがて、サラはかつて家族と暮らしたアパートを訪ねる機会を得る。アパートに着くなり、部屋へ駆け込んだサラは納戸の扉を開くと・・・・・。
 果たして、サラは弟を助けることができたのか?そして、2人は今も生きているのか?事件を紐解き、サラの足跡を辿る中、次々と明かされていく秘密。そこに隠された事実がジュリアを揺さぶり、人生さえも変えていく。すべてが明かされた時、サラの痛切な悲しみを全身で受け止めた彼女が見出した一筋の光とは・・・・・?
 
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たぴおか的コメント    今年の7月に公開された『黄色い星の子供たち』と同じく、ナチス占領下のフランスで行われたユダヤ人一斉検挙にまつわるエピソードを描いた作品だが、この作品はそれだけではなく現在を生きる主人公ジュリアを通して、過去と現在を巧みに交錯させているのが秀逸だ。
 まだ幼かったサラのこと、弟を納戸に隠れさせて鍵をかける、その行為がどういう結果に結びつくかなんて想像もしなかっただろう。おそら、すぐに家に帰ることができる、そう考えてしたことに違いない。しかし、その行為が後々までサラの心にトラウマとして残ることになってしまう。
 そんなサラの半生を直接描くのではなく、現代に生きる女性、クリスティン・スコット・トーマス扮するジュリア・ジャーモンドを通して間接的に描いているのがこの作品のポイントだ。ジュリアはサラの足跡を追うと同時に、現在自らが置かれているシチュエーションを顧みながら、夫から反対された出産に対する考えを突き詰めていく。そして観る者は、彼女と感情を共感することによって、観ている者はより切実にサラを感じ取ることができる。
 作品の原題“ELLE S'APPELAIT SARAH”を英訳すると“Her name is Sarah”。それは、「私の名前はサラ・スタルジンスキ」と名乗ったユダヤ人の少女のことでもあり、また、現在においてサラの息子に対してジュリアが「彼女の名はサラ」と紹介した彼女の娘のことでもある。「命は引き継がれる」などと思うのは大袈裟だろうか?