評     価  

 
       
File No. 1526  
       
製作年 / 公開日   2011年 / 2011年12月23日  
       
製  作  国   アメリカ  
       
監      督   ガス・ヴァン・サント  
       
上 映 時 間   90分  
       
公開時コピー   天国より近くにいる君へ  

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   ヘンリー・ホッパー [as イーノック・ブレア]
ミア・ワシコウスカ [as アナベル・コットン]
加瀬 亮 [as ヒロシ・タカハシ]
シュイラー・フィスク [as エリザベス・コットン]
ルシア・ストラス [as レイチェル・コットン]
ジェーン・アダムス [as メイベル]
ポール・パーソン [as エドワード]
チン・ハン [as リー医師]
 
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あ ら す じ    自動車事故で両親を亡くしたうえに、自ら臨死体験を経験した少年イーノック・ブレアは、それ以来生きることを諦めてしまっていた。見知らぬ人の葬儀に、遺族のふりをして参列することが唯一の楽しみになっていた彼はある時、いつものように葬儀に参列していると、係員から問い詰められてしまう。窮地を救ってくれたのは、以前、別の葬儀で出会った少女アナベル・コットンだった。この再会で2人は互いに心を開き始める。
 イーノックは、事故の際の臨死体験をきっかけに、ヒロシという第二次世界大戦で戦死した日本の特攻隊員の幽霊が見えるようになっていた。家では叔母とうまくいかなかったイーノックは、ヒロシと遊んで過ごす時間が多かった。ある日、彼は再会したアナベルを両親が眠る墓地に案内する。帰宅後、イーノックのことを姉のエリザベス・コットンに嬉しそうに話すアナベルの明るい表情に、エリザベスは心を軽くするのだった。
 実はアナベルは、癌の闘病中だった。しかも、定期健診によって一時収まっていたガンが再発していることが明らかになり、アナベルは自分の余命が3カ月であることをイーノックに打ち明ける。イーノックは、彼女にヒロシの存在と両親を失った事故の経験を告白する。やがて、自分の葬儀を自分でプロデュースしたいと告白したアナベルに、イーノックはその準備を手伝うと約束するが、ある時些細なことから喧嘩をしてしまう。自棄を起こしたイーノックは、両親の墓を掘り返そうとしてヒロシに殴られ、怪我をして病院に入院することとなる。
 同じ頃、アナベルが発作を起こして危険な状態に陥り、イーノックが入院している同じ病院へかつぎ込まれる。イーノックは、ヒロシの言葉に後押しされてアナベルを見舞い、2人の仲は元通りに修復される。やがてイーノックと最期の時が近づいたアナベル彼女の前にヒロシが現れ、彼女のお伴をしようと申し出る。そしてアナベルは旅立ち、彼女自身がプロデュースした葬儀のセレモニーの最中、イーノックは彼女との思い出に心を巡らせるのだった・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    なぜだろうな、今ひとつ胸にグッとくるものがなく、あまりにアッサリと終わってしまった感のある作品だった。エンド・クレジットの終わりに「デニス・ホッパーに捧ぐ」なんて字幕が表示されたのは意味がわからなかったが、帰宅して調べてみると、主役のイーノックを演じたヘンリー・ホッパーが彼の実の息子とのこと。何だか父親に全然似ていないような気がするけど。彼の相手役を務めたのは、『アリス・イン・ワンダーランド』『キッズ・オールライト』のミア・ワシコウスカ、そして日本の特攻兵の幽霊というなんとも奇妙な役柄を加瀬亮が演じている。
 このところ『50/50 フィフティ・フィフティ』以来『私だけのハッピー・エンディング』、そしてこの作品と難病をテーマにした作品を立て続けに観ている気がする。そして、女性側が亡くなってしまう『私だけの』とこの作品の両者に共通して言えることが、あまりに死を達観し過ぎているということ。死は人間にとって最大の恐怖であって、その死を迎えるとなれば誰だって動揺し平静を保っていられなくなるはずなのだが、そんな心の葛藤や苦悩といった感情はいずれの作品にも描かれていない。
 劇場でこの作品の予告編が流れたとき、加瀬亮が登場するとなぜか場内の随所から押し殺したような笑いが起きた。坊主頭にした彼が可笑しかったのか、それとも彼の存在自体が奇異に感じられて失笑してしまったのかはわからないが、これがハリウッドデビュー作となる加瀬亮の演技は悪くなかった。そして、アナベルを演じたミア・ワシコウスカは、アリス役とは全く異なる一面を見せてくれている。彼女、結構ボーイッシュなショートカットが似合うんじゃないかな。そんな2人に囲まれた、ヘンリー・ホッパー演じる主役イーノックには、なぜか共感することも感情移入することもできなかった。
 確かに、全編を通して透明感のある空気が流れる映像は美しい。ただ、それが大半はミア・ワシコウスカ個人の魅力によるもののように思えて仕方ないのだ。イーノックの言葉を借りるならば、避けることのできない死が間近にせまっているアナベルのあの落ち着きは、彼女が“生きていない”ことを意味する。人は生きようとするから生に執着し、取り乱したりするのだ。だから、既に生きる意志を放棄したアナベルからは透き通った美しさが感じられる。
 一方のイーノックもまた、彼自身が語るように“生きていない”。余談だが、ヒロシもまた“生きていない”・・・・・というか、彼の場合は物理的に死んでるんだから当たり前か(笑)。冗談はさておいて、幼い頃に両親を失い自ら臨死体験を経験したことがイーノックにはトラウマになっているようだが、臨死体験はともかくとしても同じような経験をした子供は少なくない。そして、そんな子供のすべてが生きることを放棄しているかというと、答えは絶対に“No”だ。イーノックに関しては、生きることを止めただなんて単なる甘えでしかない。別の言葉で言うならば、無意識のうちに悲劇の主人公を気取っているのかもしれない。イーノックに共感も感情移入もできないと書いた理由も、おそらくはそんなところにあるのではないだろうか。