評     価  

 
       
File No. 1534  
       
製作年 / 公開日   2011年 / 2012年01月13日  
       
製  作  国   ベルギー  
       
監      督   リー・タマホリ  
       
上 映 時 間   109分  
       
公開時コピー   この真実に、ついてこれるか。  

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   ドミニク・クーパー [as ウダイ・フセイン/ラティフ・ヤヒア]
リュディヴィーヌ・サニエ [as サラブ]
ラード・ラウィ [as ムネム]
フィリップ・クァスト [as サダム・フセイン]
 
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あ ら す じ    祖国のために戦うイラク軍中尉のラティフ・ヤヒアは、ある日前線から呼び戻された。彼を呼び戻したのは、独裁者として悪名高いイラク大統領サダム・フセインの長男、ウダイ・フセインだった。ラティフとウダイは高校の同級生だった頃からそっくりだと噂されており、ウダイはラティフに自分の影武者になるよう命じる。拒絶すれば家族を殺すと脅されたラティフには、もはや選択の余地はなかった。側近のムネムの指揮のもと、ラティフは整形手術を受けて義歯を着け、ウダイの経歴を暗記させられ、徹底した所作訓練を受けた結果、父サダムからも「3人目の息子」と賞賛されるほどだった。
 以来ラティフは、ウダイを生きることを強いられ、外出はおろか電話さえも許されず、ウダイの狂乱ぶりを直近で目の当たりにする毎日を送ることとなった。莫大な資産と全てを思うがままにすることを許される権力を背景に、ウダイの飽くなき狂気はとどまるところを知らず、特にセックスに対する執着は常軌を逸していた。本気で愛する女性サラブを側に置きながらも、町で見かけた学生や結婚式の最中の新婦までをも強引に我がものにしてしまう。やがてクウェート侵攻で国が動揺し始めてもウダイの暴挙はとどまることを知らず、パーティの最中に言い争いになった父サダムの親友さえも激情にまかせて殺してしまい、サダムをして「生まれた時に殺しておくべきだった」と言わせしめる始末だった。
 そんな中、共にウダイに選ばれた玩具という立場にあったラティフとサラブは心を通わせ合い、ウダイには秘密の関係を結ぶようになる。やがて湾岸戦争が勃発し、フセイン大統領はウダイに戦地へ赴くよう命じたにもかかわらず、ラティフはウダイの影武者として危険な前線へ送り込まれた挙げ句、反対勢力の襲撃を受けて重傷を負ってしまう。
 ラティフは、父が自らの命を掛けてまで息子を救おうと忠告した言葉に従い、サラブを連れてイラクから国外へと逃亡する。ところが、すぐに2人の居場所はウダイに知れてしまい、追っ手が差し向けられる。どうあがいてもウダイから逃れられないと悟ったラティフは、ついにウダイに対しての逆襲を決意するのだった・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    まさに“狂気のプリンス”と呼ぶにふさわしい、ウダイ・フセインの乱行ぶりが凄まじく、ウダイと影武者の2役を演じたドミニク・クーパーの熱演は賞賛に値する。彼が演じるウダイの目には、確かに狂気が見て取れた。とは言え、ウダイとラティフの性格がここまで正反対と言っていいほど違うとなると、逆に差別化し易かっただろうし、観客が思うほど2人の演じ分けは難しくはなかったんじゃないだろうか、なんて思ってしまう。サダム・フセインの絞首刑が執行されたのが2006年12月30日、ウダイ・フセインが米軍によって銃殺されたのが2003年7月22日。映画製作時点では2人の暴君は共にこの世にはおらず、少々遅きに失した感がある。
 生まれながらに悪である人間はいないという、いわゆる「性善説」も、イラクが核兵器を保有しているという誤った情報からイラクを攻撃したアメリカの行動が暴挙であることも、いずれも理性ではわかっていながらも、この作品を観てしまうと感情的には納得できない、そんな気持ちにさせられてしまう。サダムがウダイに対して「生まれた時に殺しておけば」という言葉を吐いたからには、物心がつく以前の幼少期から、ウダイには常人にはない異常な性癖や欠陥が見て取れたのかもしれない。激情に任せて自分の友人を殺されたとあっては、さすがのサダムもはらわたが煮えくり返ったことだろう。
 そして、性に対する人並み外れた欲望もまた異常の一言に尽きる。町で見かけた中学生や、結婚式の真っ最中の花嫁までをも強姦してしまう。薬で女性の自由を奪って事に及び、ショック死した女性は道ばたに捨ててしまうし、幸せの絶頂から不幸のどん底に突き落とされた花嫁は自殺してしまうのだが、それを見て公開するどころか不敵な笑いを浮かべるとは、人間の皮を被った悪魔という言葉も彼には生ぬるいかもしれない。“DEVIL'S DOUBLE”とはよく言ったものだ。
 そんなウダイの残忍性・異常性が余すところなく描かれている作品だが、それだけにラストで暗殺に失敗してしまうと正直消化不良を起こしかねない。作品からは何のカタルシスも得られないからだ。ウダイ、サダムは共に世を去り、ラティフはどこかで結婚して平穏に暮らしている、それがわかったのがせめてもの救いだろう。ラティフの伴侶が誰かはわからないが、確信を持って言えることは、その女性がサラブではないということかな。