評     価  

 
       
File No. 1541  
       
製作年 / 公開日   2011年 / 2012年01月28日  
       
製  作  国   アメリカ  
       
監      督   kゥリント・イーストウッド  
       
上 映 時 間   137分  
       
公開時コピー   だれよりも恐れられ、だれよりも崇められた男。  

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   レオナルド・ディカプリオ [as J・エドガー・フーバー]
ナオミ・ワッツ [as ヘレン・ギャンディ]
アーミー・ハマー [as クライド・トルソン]
ジョシュ・ルーカス [as チャールズ・リンドバーグ]
ジュディ・デンチ [as アニー・フーバー]
エド・ウェストウィック [as スミス捜査官]
デイモン・ヘリマン [as ブルーノ・ハウプトマン]
スティーヴン・ルート [as アーサー・コーラー]
ジェフリー・ドノヴァン [as ロバート・ケネディ]
ケン・ハワード [as ハーラン・フィスク・ストーン]
ジュシュ・ハミルトン [as ロバート・アーウィン]
ジェフリー・ピアソン [as ミッチェル・パーマー]
ジェシカ・ヘクト [as エマ・ゴールドマン]
シェリル・ローソン [as ロバート・ディクソン・パーマー]
ガナー・ライト [as ドワイト・アイゼンハウアー]
デヴィッド・A・クーパー [as フランクリン・ルーズベルト]
ケリー・レスラー [as 筆頭秘書]
 
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あ ら す じ    FBI長官のジョン・エドガー・フーバーは、人生の終盤に差し掛かり、部下に命じて回顧録を書き取らせる。記憶はFBI誕生以前へと遡り、彼の表の経歴が語られるとともに、その裏側の野望、企み、葛藤、苦悩が次第に明らかにされていく。
 1919年、司法省に勤務していたフーバーは長官の目に留まり、新設された急進派対策課を任される。これを機に、秘書室のヘレン・ギャンディにプロポーズするが断られてしまう。しかしフーバーは、彼女を個人秘書として生涯にわたって雇い続けることになる。その後、FBIの前身である司法省捜査局の長官代行となったフーバーは、生涯の片腕となるクライド・トルソンと秘書のヘレンだけを信頼し、自らの信じる正義を実現すべく、捜査の近代化と権力の集中を進めていく。
 今日では当たり前とされる科学捜査の基礎を確立し、犯罪者の指紋管理システムを作ったのも彼なら、FBIを子どもたちの憧れの的にまで押し上げたのも彼だった。紛れもない英雄であるにもかかわらず、彼には常に黒い疑惑やスキャンダラスな噂がつきまとった。
 やがて、国家を守るという絶対的な信念は、そのためになら法を曲げてかまわないというほど強く狂信的なものとなる。それゆえ彼は正義にもなり、悪にもなった。国を守るという大義名分のもと、大統領を始めとする要人たちの秘密を調べ上げ、その極秘ファイルをもとに彼が行った“正義”とは一体何だったのか?映画やコミックを使ってFBIの素晴らしき喧伝させる裏側で、彼は何を画策していたのか・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    昨年2月に『ヒア アフター』が公開されたと思ったら、今年の年明け早々にこの作品が公開されるとは、80歳を越えてなお衰えることを知らないイーストウッド御大の創作意欲には、正直頭が下がる思いだ。題材も死後の世界が見えるという前作のような超自然的ものから一転して、今回は実在した人物の伝記をベースにしながら、単なる伝記作品では終わらないのは、さすがイーストウッドだ。
 FBIというあまりに有名な組織を作り上げ、近代捜査の礎を築き上げたJ・エドガー・フーバーには、物事の先駆者につきもので賛否両論があるようだ。たrだ、彼は自らのためではなく、あくまで祖国アメリカ合衆国のために身を粉にして働いたことは疑う余地がない。だが、時としてそのやり方は法律をもねじ曲げ、あるいは無視することもあった。それは彼が主張するところの“正義”のためであって、その“正義”を目の当たりにした観客が果たしてどのように感じどう判断するか、そこがこの作品においてイーストウッド監督が提示している観客に対する、ひいては多くの大衆に対する問いかけなのだろう。
 そもそも絶対的な“正義”などという概念は存在するはずがなく、あくまで“正義”は主観的なものなのだ。そして、J・エドガー・フーバーなりの“正義”が形成された根源をたどると、ジュディ・デンチが演じる母親、アニー・フーバーという人物の影響は見逃せない。“三つ子の魂百まで”という言葉があるように、幼少時代から母親が彼に叩き込んだ彼女なりの帝王学が、その後のエドガーのすべての判断基準になっていたのではないだろうか。エドガーは生涯彼の秘書を務めたヘレン・ギャンディにプロポーズしたが断られ、二度目に結婚を考えた時には彼の右腕とも言うべきクライド・トルソンに拒絶され、結局生涯独身を貫いたようだが、私が観たところでは彼は結婚を感情ではなく理性で欲しているようだ。それは換言すれば極めて打算的な結婚観に支配されているということであり、「この女性と一緒にいたい」という欲求からではなく、「この女性がそばにいれば自分にとってプラスになる」という計算が常に彼の根底にあったように思えてならない。だから、求婚を拒絶されたヘレンに対して、結婚ではなく自分の秘書としてそばに置くことにしたのだ。
 そんな主人公をディカプリオが熱演しているのは充分伝わってくるが、相変わらず誰を演じても個性が感じられないのは残念だ。むしろ、年老いたエドガーのメイクの方が素直に見事だと感心してしまった。そして、一生涯彼の秘書を務めたヘレン・ギャンディが美人で、誰が演じているのか観ている間ずっと気になっていたのだが、ナオミ・ワッツだったと全く気づかなかったのは非常に悔しい(笑)。