評     価  

 
       
File No. 1552  
       
製作年 / 公開日   2011年 / 2012年02月17日  
       
製  作  国   デンマーク / スウェーデン / フランス / ド イ ツ  
       
監      督   ラース・フォン・トリアー  
       
上 映 時 間   135分  
       
公開時コピー   世界が終わる。
その衝撃の瞬間をあなたは目撃する
 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
キ ャ ス ト   キルステン・ダンスト [as ジャスティン]
シャルロット・ゲンズブール [as クレア]
アレキサンダー・スカルスガルド [as マイケル]
ブラディ・コーベット [as ティム]
キャメロン・スパー [as レオ]
シャーロット・ランブリング [as ギャビー]
イェスパー・クリステンセン [as リトル・ファーザー]
ジョン・ハート [as デクスター]
ステラン・スカルスガルド [as ジャック]
ウド・キア [as ウェディング・プランナー]
キーファー・サザーランド [as ジョン]
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
あ ら す じ   Part1 ジャスティン>
 新婦のジャスティンは、新郎マイケルと共に、リムジンに乗って結婚パーティーの行われる姉クレアとその夫ジョンの家に向かっていた。ところが、2人の乗るリムジンが立ち往生し、2時間も遅刻してしまう。姉夫婦が新郎新婦を出迎えて、ようやく結婚披露パーティーは開始される。義兄のジョンが私財を投じて開いてくれた盛大なパーティーだったが、母ギャビーの悪意に満ちたスピーチなどを目にして、ジャスティンは次第に虚しさを覚えてゆく。「バカなマネはしないように」とクレアから釘を刺されたものの、ジャスティンは会場を離れて情緒不安定な行動を繰り返した後、霧が立ち込める早朝の道を愛馬で駆ける。橋のたもとで空を見上げたジャスティンは、そこにさそり座の赤い星アンタレスが存在しないことに気付く。
Part2 クレア>
 7週間後。別荘の窓から木々のざわめきを眺めていたクレアは、アンタレスを遮って地球に異常接近する惑星メランコリアが気になっていた。ジョンは、「惑星は5日後に通過するので、地球に衝突することはない」と妻をなだめる一方で、非常時の用意も整えていた。そんな中、憔悴しきったジャスティンがやって来る。支えられなければ歩くこともできないジャスティンだったが、夜には外出し、小川の辺で月よりも大きくなった惑星にうっとりと微笑みかける。後を追い、その姿を目撃するクレア。惑星の接近を心待ちにする息子レオとは反対に、ネットで地球と惑星の軌道が交わる画像を発見してクレアは茫然とする。「地球は邪悪よ。消えても嘆く必要はないわ」とクレアに淡々と語るジャスティンは、惑星の接近につれて心が軽くなっていく。いよいよ惑星が通過する夜、ジャスティン、クレア、ジョン、レオの4人はその瞬間をテラスで待ち構えるのだったが・・・・・。
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
たぴおか的コメント    女優活動を休業していたキルステン・ダンストの作品で、しかも国際映画祭で主演女優賞を獲得した作品とあって、2月17日(金)の公開初日は『TIME タイム』を観るべきかこの作品にすべきか迷ったのだが、最寄りのTOHOシネマズでは『メランコリア』を上映していなかったため、翌18日(土)に隣の市にあるTOHOシネマズの初回に臨んだ。
 冒頭から数分間は台詞も一切なく、まるで予告編を見せられているようなスロー再生の映像でまず釘付けにさせられる。そして、その映像があたかもダイジェスト版のような役割を果たしていて、惑星メランコリアが地球に衝突するという結末を最初に見せつけられるのだ。けれども、この作品は決して最期を迎えた地球の人々のパニックを描いた作品ではない。作品は2部構成になっていて、<Part1 ジャスティン>は主人公ジャスティンの結婚披露パーティの映像に終始し、<Part2 クレア>で初めてメランコリアが地球に接近するという異常事態に瀕した人間像が描かれているのだが、舞台は主人公の姉夫婦が経営するゴルフ場で、Part2の登場人物はわずか4名だけなのだ。これは決して全世界の縮図ではなく、あくまでもひとつの家族の物語だ。世界のその他の人々がどうなったかなどということは、ローランド・エメリッヒ監督の作品に任せておけばいいことなのだ(笑)。
 とにかくその圧巻とも言える映像は美しく、特に青く輝く惑星メランコリアは、大きさは地球の数倍で、地球と衝突するというよりも、地球を飲み込むという表現の方が適切ではないかと思われる。また、荘厳さと甘美さを兼ね備えたワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』が素晴らしい。映像と音楽の見事なコラボに鳥肌が立ってしまったが、この感覚はおそらく『2001年宇宙の旅』とR・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』以来久しく感じなかった感覚だ。軽く目を閉じれば、クラシックのコンサート会場にいるような陶酔感が味わえる。
 「成田離婚」という言葉があるが、さすがに「披露宴離婚」という言葉は聞いたことがない。ところがそれでもそうなってしまうところに、この作品の主人公、キルステン・ダンスト扮するジャスティンの心の病の重さがうかがえる。夫・マイケルを拒否してしまう一方で、初対面のティムと関係を持ってしまう。その挙げ句、上司には悪態をついて仕事をクビになり、マイケルから告げられた別れの言葉を否定することもできない。彼女は彼女なりに、幸せを精一杯つかもうとしているのは、シャルロット・ゲンズブール 扮する姉のクレアの言葉からもわかるが、健常者であれば何でもない人間関係も、彼女にとっては想像を絶する苦痛なのもだったに違いない。
 だから、惑星メランコリアが地球に近づくにつれ、次第に冷静さを失っていくクレアに対し、ジャスティンは逆にすべての煩わしさから解放されていくのだ。そんな2人をよそに、もはや他人のことを構ってはいられなくなったかのような、ジャック・バ・・・・・じゃなくて、キーファー・サザーランド扮するジョンが、あまりに卑小な人間に見えてしまい同情すら覚える。あろうことか彼は妻と息子を置き去りにして、ひとりで逃げてしまうのだ。せめて、3人揃って最後の時を迎えるくらいの勇気はなかったものかと痛切に感じる。
 次第に大きく見えてくるメランコリアが、いよいよ終末をもたらすのだが、そのラストシーンは圧巻だ。あまりに美しく、その美しさに比例して神々しいばかりに恐ろしいメランコリアの姿。やがてそれは視界全体を覆い尽くし、そして訪れる最期の瞬間の光景は、私の拙い文章などではとても表現し尽くすことなどできるはずはない。ただ、これほどラストにふさわしい映像で終わる作品は数少ないということだけは、間違いないだろう。