評 価
File No.
1560
製作年 / 公開日
2011年 / 2012年03月01日
製 作 国
アメリカ
監 督
マーティン・スコセッシ
上 映 時 間
126分
公開時コピー
ヒューゴの<夢の発明>にあなたは驚き、涙する
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最初に観たメディア
Theater
Television
Video
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キ ャ ス ト
ベン・キングズレー
[as パパ・ジョルジュ]
サシャ・バロン・コーエン
[as 鉄道公安官]
エイサ・バターフィールド
[as ヒューゴ・カブレ]
クロエ・グレース・モレッツ
[as イザベル]
レイ・ウィンストン
[as クロードおじさん]
エミリー・モーティマー
[as リゼット]
ヘレン・マックロリー
[as ママ・ジャンヌ]
クリストファー・リー
[as ムッシュ・ラビス]
マイケル・スタールバーグ
[as ルネ・タバール]
フランシス・デ・ラ・トゥーア
[as マダム・エミール]
リチャード・グリフィス
[as ムッシュ・フリック]
ジュード・ロウ
[as ヒューゴの父]
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あ ら す じ
1930年代のフランスはパリ。
父
を火事で失った少年
ヒューゴ・カブレ
は、駅の時計台に隠れ住み、駅の時計のネジを巻いて毎日を過ごしていた。独りぼっちになった彼の唯一の友だちは、父が博物館で見つけてきた壊れたままの“機械人形”だった。ヒューゴは機械の部品を集めては、コツコツと機械人形を修理し、その人形に秘められた父からのメッセージを引き出したいと考えていたのだった。
ある日、駅でおもちゃの店を営んでいる
パパ・ジョルジュに
捕まってしまったヒューゴは、父が書き残した機械人形についてのメモを奪われてしまう。ところが、両親を亡くしてパパ・ジョルジュとその妻
ママ・ジャンヌに
の養女となった少女
イザベル
と知り合ったヒューゴは、彼女が機械人形を動かすのに必要なハート型の鍵を持っていることに気づく。
イザベルを時計塔の中に案内したヒューゴは、彼女のハート型の鍵を借りてついに機械人形のスイッチを入れる。機械人形の手がぎこちなく動きだし、ヒューゴとイザベルが見守る中、その手に握られたペンが紙に描き出したものとは一体・・・・・?
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たぴおか的コメント
どうもスコセッシ監督とファンタジー、しかも3Dだなんてミスマッチに思えて仕方なかった。そんな不安を抱きながら劇場に臨んだのだが、パリ駅の構内を駆け抜けるシーンに始まり、圧倒的とも言える映像は3Dの効果が遺憾なく発揮されていて、「この作品は絶対に3Dで観るべきだ」と断言できる作品に『アバター』以来初めて遭遇した気がする。なんちゃって3Dや無意味な3D(特に邦画には「果たして3Dにする必要があるのか?」と首をかしげたくなる作品が少なくない)が多い中、この作品にはスコセッシなりのこだわりが感じられる。
作品には、実在したフランスの映画製作者ジョルジュ・メリエスを筆頭に、映画創世期へのオマージュがふんだんに盛り込まれている。そして、映画を観終えてからWikipediaでジョルジュ・メリエスを調べてみて吹き出しそうになった。掲載されていた彼の画像が、笑っちゃうほどポール・ジアマッティにソックリなのだ。どうせだったら、ベン・キングズレーじゃなくてポールを起用したら、本人に似ているという点だけではなく、作品自体の味わいももっと面白くなったんじゃないか、と今にして思う。
冗談はさておいて(半分は本気だけど)、元マジシャンだったメリエスが映画製作に転身したのは、フランスのリュミエール兄弟の映画を観たのがきっかけだという。蒸気機関車が走り出す映像に、観客は本物の汽車が向かってくると勘違いした、映画の創世記。そして今、スコセッシのこの作品は3Dによって、映像が実際に飛び出して見える。そこからは、映画とはメリエスの時代から現在に至るまで変わらずに一種のイリュージョンであって、それを観る者に現実では得られない体験をさせるものという、スコセッシの信念がうかがわれる。そしてそれは、決してメリエスの業績を否定するものではなく、彼の功績に対して最大限の賞賛を送りつつ、「あなたの仕事は、今こんなに進歩した技術によって受け継がれていますよ」と、今は亡きメリエスに対する彼なりの回答を提示しているように思える。古い物を「古い」というだけで切り捨てることなく、あたかも長い年月をかけて地層が堆積していくように、古い物の上に新しい物を積み重ねていくことこそが、「歴史」を刻むということなのだ。