評     価  

 
       
File No. 1580  
       
製作年 / 公開日   2011年 / 2012年04月07日  
       
製  作  国   フランス  
       
監      督   ミシェル・アザナヴィシウス  
       
上 映 時 間   101分  
       
公開時コピー  
温かい涙、溢れ出す愛。この感動に世界が喝采
 

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   ジャン・デュジャルダン [as ジョージ・ヴァレンティン]
ベレニス・ベジョ [as ペピー・ミラー]
ジョン・グッドマン [as アル・ジマー]
ジェームズ・クロムウェル [as クリフトン]
ペネロープ・アン・ミラー [as ドリス]
ミッシー・パイル [as コンスタンス]
ベス・グラント [as ペピーのメイド]
ジョエル・マーレイ [as 警官]
エド・ローター [as 執事]
ビッツィー・トゥロック [as ノーマ]
ケン・ダビディアン [as 質屋の主人]
マルコム・マクダウェル [as 執事]
 
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あ ら す じ    1927年のハリウッド。サイレント映画の大スター、ジョージ・ヴァレンティンは、共演した愛犬とともに新作の舞台挨拶で拍手喝采を浴びていた。熱狂する観客たちで映画館前は大混乱となり、若い女性ファンがジョージを突き飛ばしてしまう。それでも優しく微笑むジョージに感激した彼女は、大胆にも憧れの大スターの頬にキスをし、その瞬間を捉えた写真が翌日の新聞の一面を飾った。写真の彼女の名前はペピー・ミラー、未来のスターを目指す新人女優だった。
 映画会社キノグラフでオーディションを受けたペピーは、愛らしい笑顔とキュートなダンスで、ジョージ主演作のエキストラ役を獲得する。撮影後、楽屋を訪ねてきたペピーに、ジョージは“女優を目指すのなら、目立つ特徴がないと”と、アイライナーで唇の上にほくろを描く。その日を境に、ペピーは踊り子、メイド、名前のある役、そして遂にヒロイン役を獲得する。そんなペピーの快進撃は、1929年のトーキー映画の登場によってますます加速する。ところが、一方のジョージは過去の栄光に固執し、“サイレント映画こそ芸術”と主張して、キノグラフ社の社長アル・ジマーと決別する。しかし数か月後、自らが初監督と主演を務めたサイレント映画は、奇しくもペピーの新作と同日公開となり、客が列をなすペピーの映画に対して、ジョージの新作は大コケしてしまう。心を閉ざしたジョージは、心配して訪ねてきたペピーすら追い返してしまう。
 それから1年。今やペピーはトーキー映画の新進スターとして絶大な人気を獲得していた。一方、妻ドリスに家を追い出されたジョージは、運転手クリフトンすら雇えなくなり、オークションで想い出の品々を売り払う。ジョージは知る由もなかったが、その全てを買い取ったのはペピーだった。酒に溺れるジョージは自分に絶望し、唯一の財産であるフィルムに放火してしまう。愛犬の活躍で救出されたジョージの元へ駆けつけたのは、変わらぬ愛を抱くペピーだった。
 ペピーはジョージを連れ帰り、自分の邸宅で療養させることにする。ところが、ジョージはある日ペピーの家の一室に、かつて彼がオークションで売った品物すべてが置かれているのを目にして、ショックを受けて彼女の家から出て行ってしまう。ペピーは慣れない車を自分で運転して、ジョージの自宅へと駆けつける。“銀幕のスター”ジョージを復活させる名案を携えて・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    アカデミー作品賞、主演男優賞、監督賞の主要3部門を含む、計5部門でオスカーに輝いた作品なのだが・・・・・。時代は1920年代後半で、映画がサイレントからトーキーへと転換する時期に当たる。だからといって、この作品自体をもモノクロのサイレントにしてしまうのは、正直いかがなものかと思う。確かに、CGや3Dといった技巧に懲りすぎる最近の傾向に対する批判はあるだろうし、そんな現状に一石を投じようという意気込みはわからないでもない。だが、はき違えてはいけないのは、当時は映像と音声を同期させる技術がないが故のサイレント映画であって、もし映像と音声を同期させる手法があったなら“サイレント”は存在しなかったはず。現在、サイレント映画には全くお目にかかれないのはその証拠だ。“それ”が可能な現在において、敢えて“それ”をしないのとは根本的に意味が異なるのだ。
 だから、私はこの作品のアプローチについては否定的な立場で、この作品を敢えてモノクロでサイレントにしたのは単なる懐古主義、あるいは奇をてらっただけと揶揄されても仕方ないと思う。もちろん、当時の映画へのオマージュはあってしかるべきだと思うが、現代の技術を駆使してそれを表現できないわけはないだろう。もしもこの作品の感動(私は特に心を動かされることはなかったが)が、モノクロのサイレントでなければ伝えられないのであれば、それは脚本や監督の力不足、さらには手抜きだとしか思えない。先日公開された『ヒューゴの不思議な発明』が、過去の特撮へのオマージュを現代の3D技術に巧みに融合させていることからも明らかだ。私は根本的にアカデミー賞を受賞した作品が必ずしも面白いとは限らないという立場だから、それを今年も確信することができた、そんなところだろうか。
 時代の変遷に適応できない者は衰退する、というのは映画においても鉄則で、時代の流れに巧く乗ったペピーは頂点へと登り詰め、過去の遺物となる(とその時は思っていなかっただろうが)サイレントに固執したジョージは時代から取り残されてしまう。言葉はキツイかもしれないが、ジョージが大衆から見放されたのは自業自得であって、そこに同情の余地はない。それはジョージにとってはアーティストとしてのプライド、誇りなのだろうが、プライドなんてものは時として邪魔にこそなれ何の意味も持たないのだ。それでもなおジョージが最後まで持論を貫き通すならそれは賞賛に値するだろうが、彼はペピーに提案されていとも簡単にトーキー映画へと鞍替えしているのだ。それじゃ、プライドも誇りもあったもんじゃないよ。
 ただ、この作品に登場する犬のアギーだけは観る価値あり(と言って、犬だけを観に劇場へ行く物好きはいないだろうけど)。カンヌ国際映画祭ではパルムドールならぬパルムドッグ賞(そんな賞あったの?)を受賞したらしく、アカデミー賞でも「アギーにオスカーノミネーションを」なんていう活動が起こったとか起こらないとか。