評     価  

 
       
File No. 1706  
       
製作年 / 公開日   2011年 / 2012年12月22日  
       
製  作  国   イギリス / ド イ ツ  
       
監      督   ローランド・エメリッヒ  
       
上 映 時 間   129分  
       
公開時コピー   「ロミオとジュリエット」「ハムレット」・・・あの名作を書いたのは別人だった
  
エリザベス王朝の愛と陰謀が交錯する歴史ミステリー
 

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   リス・エヴァンス [as オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア]
ヴァネッサ・レッドグレーヴ [as エリザベス1世]
ジョエリー・リチャードソン [as 若き日のエリザベス1世]
デヴィッド・シューリス [as ウィリアム・セシル]
ゼイヴィア・サミュエル [as サウサンプトン伯ヘンリー・リズリー]
セバスチャン・アルメストロ [as ベン・ジョンソン]
レイフ・スポール [as ウィリアム・シェイクスピア]
エドワード・ホッグ [as ロバート・ホッグ]
ジェイミー・キャンベル・バウアー [as 若き日のエドワード]
デレク・ジャコビ [as 案内人]
トリスタン・グラヴェル [as クリストファー・マーロウ]
サム・リード [as エセックス伯]
 
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あ ら す じ    16世紀末。エリザベス一世統治下のロンドンの街では演劇が盛んになり、市民も貴族も芝居に熱狂していた。ある日、オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアが、サウサンプトン伯ヘンリー・リズリーに連れられ、ベン・ジョンソン作の評判の芝居を見にやってくる。鮮やかな芝居に感心するエドワードだったが、芝居の途中でエリザベス一世の宰相、ウィリアム・セシル卿の兵が現れて上演を中止させ、劇場は大混乱となる。
 セシルは、老いたエリザベスの後継にスコットランド王ジェームスを据えようとしていた。しかし、セシルの義理の息子であるエドワードは、チューダー朝の王たるべき者が後継であるべきと考えていた。エドワードが庇護するサウサンプトン伯とともに“エリザベスの隠し子”と噂されるエセックス伯も強力なチューダー朝派で、セシルは彼らをエリザベスから遠ざけようしていたのだった。
 16世紀半ば。若きエリザベス1世は、オックスフォード家に招かれ、若き日のエドワードによって書かれた芝居を見る。それから間もなく父を亡くしたエドワードは、ある密かな理由からセシル卿に引き取られて英才教育を受け、文武に秀でた美しい青年へと成長した。やがてエリザベスはエドワードを男性として愛するようになる。女王とエドワードの恋愛に危険を感じたセシルは、エドワードを宮廷から追放するが、その時既にエリザベスはエドワードの子を身ごもっていた。エドワードはセシルの娘と結婚を強いられ、以来彼は望みを失い、屋敷の書斎に篭ってばかりいる生活を送るようになった。
 牢に捕われていたベンを助けたエドワードは彼を自分の屋敷の書斎に招くと、自分が書いた戯曲をベンの名で上演して欲しいと申し出る。エドワードが渡した戯曲は「ヘンリー5世」だった。半信半疑で役者たちに戯曲を渡したベンだったが、ローズ座での上演は大好評を博す。興奮した観客は作者の登場を要求するが、その時ベンの機を先んじて、芝居に出ていた役者ウィリアム・シェイクスピアが舞台に進み出て自身が作者であると名乗り出る・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    原題“ANONYMOUS”とは「匿名の」という意味の形容詞で、シェイクスピアの名作は、実はすべて匿名のゴーストライター的な存在によるものであるという、いわゆる“シェイクスピア別人説”をモチーフに描かれた作品・・・・・なんて偉そうなことを書いている私も、実は“シェイクスピア別人説”が実は文学史上の大きな謎であることはもちろん、“シェイクスピア別人説”の存在自体も、この作品に触れて初めて知った。別人説が存在する理由 としては、
1. シェイクスピアの個人史には所々大きな空白部分があること
2. シェイクスピア自身による自筆の原稿はおろか手書きの手紙、日記、詩すら一切存在しないこと
3. 公式の文書には6つの違った署名(Shaksp、Shakspe、Shakesper、Shakespere、 Shakspere、Shakspeare)が存在すること
4. シェイクスピアの遺言書が現存するが、そこには本や戯曲や詩、その他いかなる書き物についても言及されていない こと
5. 自分の芸術に関する持論を1つも表していない こと
などが挙げられるようだ。しかも、ストラトフォード出身の商人の息子ウィリアム・シェイクスピアは、作品中にも描かれているように本当に読み書きができなかったらしい。“シェイクスピア別人説”が生まれるのも至極当然の成り行きだろう。シェイクスピアが本当の著者であることに疑いを持つ人々は“反ストラトフォード派”と呼ばれ、その中には心理学の大家・フロイトやオーソン・ウェルズ、チャーリー・チャップリン、マーク・トウェインら著名人もいるとのこと。
 そんな“反ストラトフォード派”からは、シェイクスピア=オックスフォード伯説が最有力候補と言われているようだ。そして、オックスフォード伯説には、“ストラトフォード派”にとって簡単に崩すことができない証拠が多数存在するとのことらしい。
 この作品は、ローランド・エメリッヒ監督が“反ストラトフォード派”の視点から、英国王朝までをも巻き込む宮廷愛憎劇に仕上げた作品だ。ローランド・エメリッヒ監督と聞いて思い浮かぶのは、『インデペンデンス・デイ』『デイ・アフター・トゥモロー』『2012』などのような超弩級のパニック・スペクタクルで、この作品のような歴史ミステリーとはほど遠い監督のように思うのは私だけじゃないはず。その意味では、ちょっと怖いもの見たさで臨んだ作品だった。
 19世紀のロンドンの町並みを描いた、エメリッヒ監督の本領発揮ともいうべきVFXはさすがだ。でも、良かったのはそこまでで、ストーリーが展開するうちにどんどんシェイクスピアから離れてしまい、最後にはエリザベス王朝の内紛劇になってしまっているのが惜しまれる。そうなったのは監督にも問題がないとは言い切れないが、それよりも脚本の拙さにげんいんがあるんじゃないかな。ラストではオックスフォード伯とエリザベス1世の関係が実は・・・・・なんて衝撃の事実が判明するが(そして、どうやらウィリアム・セシルそ不可解な行動の理由はすべてその事実に根ざしていたようだ)、今ひとつ盛り上がりや緊迫感に欠ける。題材が題材だけに、作り方次第ではどうにでも化けたかと思うと、あまりに勿体ない気がする出来だった。