評     価  

 
       
File No. 1727  
       
製作年 / 公開日   2011年 / 2013年01月18日  
       
製  作  国   アイルランド  
       
監      督   ロドリゴ・ガルシア  
       
上 映 時 間   113分  
       
公開時コピー   19世紀、アイルランド。
“彼女”が夢を叶えるには、“男性”として生きるしかなかった。
 

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   グレン・クローズ [as アルバート・ノッブス]
ミア・ワシコウスカ [as ヘレン・ドウズ]
アーロン・ジョンソン [as ジョー・マキンス]
ジャネット・マクティア [as ヒューバート・ペイジ]
ブレンダン・グリーゾン [as ホロラン医師]
ジョナサン・リス・マイヤーズ [as ヤレル子爵]
ポーリーン・コリンズ [as ベイカー夫人]
ブロナー・ギャラガー [as キャスリーン]
ブレンダ・フリッカー [as ポーリー]
アントニア・キャンベル=ヒューズ [as エミー]
マリア・ドイル・ケネディ [as メアリー]
マーク・ウィリアムズ [as ショーン・キャセイ]
セリーナ・ブラバゾン [as Mrs.ムーア]
マイケル・マケルハットン [as Mr.ムーア]
ケネス・コラード [as ピゴット氏]
 
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あ ら す じ    19世紀のアイルランド。上流階級の人々に人気のモリソンズホテルでウェイターとして働くアルバート・ノッブスは、人付き合いを避けてひっそりと暮らしていた。彼には長年、誰にも言えない秘密があったのだ。それは、貧しく孤独な生活から逃れるために、女性であることをひた隠しにして男性として生きてきたということだった。結婚せずに女性が自立するには、そうするしかなかった、それが彼女の考えだった。
 ある日、モリソンズホテルにハンサムなペンキ屋のヒューバート・ペイジがやってくる。彼と相部屋にさせられたアルバートは、自分が女性であることをヒューバートに知られてしまう。ところが、驚いたことに、ヒューバートもまた自分が女性であることを隠してきた一人だったのだ。男性として堂々と生き、女性と結婚して所帯を持つる彼に、アルバートは大いに影響を受けるようになる。
 若いメイドのヘレン・ドウズに対して、密かに想いを寄せていたアルバートは、あくまで男性としてヘレンにアプローチを始める。ところが、密かにヘレンと愛し合うようになっていたボイラー職人のジョー・マキンスはその事に気づき、ヘレンを通じてアルバートから金品をせしめようと利用するようヘレンに仕向けるのだった。
 働く女性にとって不自由な時代、男性として孤独に生き、女性としてのアイデンティティを見失っていたアルバートは、様々な人たちに囲まれながら、自分らしく生きる希望の扉を開き始めるのだが・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    イマイチ乗り気がしなかった作品だったが、会社の同僚から強く勧められて劇場で観ることとなった。乗り気がしなかった理由は、主演のグレン・クローズに全く馴染みがなかったこと、そして、予告編で観た彼女に魅力を感じられなかったこと、さらには女性が男装するという色モノだという先入観があったことだ。
 ちなみに、邦題の『アルバート氏』というのは、用法の間違いで、正しくは『ノッブス氏の人生』じゃないかと思う。“氏”とは英語のMr.に相当する敬称であり、これはファースト・ネームではなく、あくまでファミリー・ネームに付けられるべきだと私は認識している。その証拠に、作品中でのアルバートに対する呼称はひたすら“Mr. NOBBS”だ。日本語でも小泉氏、麻生氏と専ら姓に付けられる他、安倍晋三氏といった具合にフルネームの場合にも使われるが、純一郎氏や太郎氏といった使い方は、皆無ではないものの極めて希だと思う。まぁ、『敬愛する』でもなく『親愛なる』でもなく、『敬愛なるベートーヴェン』なんて邦題が付されるくらいだから、邦題は何でもアリなワケで、いちいち目くじら立てるようなことではないのだろうけど。ただ、この邦題のおかげで、てっきりアルバートはフファミリーネームだと思い込んでいたのは事実だ。
 観てみると、なるほど同僚が勧めた理由がわかったような気がする。そして、その同僚というのが女性であったことも、この作品に感動した理由のひとつなんだろうなぁ、とも感じた。男性である私から観ると、この作品はあまりにも惨めで悲しい物にしか映らなかったからだ。男装したグレン・クローズ演じるアルバート氏は、女性としての美しさを放棄してしまい、かと言って本物の男性力強さなどといった魅力からはほど遠く、つまりは男女の魅力的な部分のいずれからも結果的に遠ざかってしまっている。ミア・ワシコウスカ扮する若いヘレンが、彼のような男性に好意を、ましてや恋愛感情を抱くとは、申し訳ないが到底思えない。これが、ジャネット・マクティア扮するヒューバートの方だったら、私も完全に男だと思い込んでいたほどだから、女性から恋されても不思議じゃないと思うけど。
 自分と同じように女性であることを隠して生きるヒューバートとの出会いは、アルバートにとっての大きな転機となる。ヒューバートと2人で女装(というのは間違いかな?)して風を受けるアルバートの表情には、間違いなく全ての抑圧から解放された喜びが感じられた。にもかかわらず、彼(彼女)は女性としてではなく、あくまでもアルバートという男性としてヘレンを求めるのだ。この辺りの心理については、男性である私には理解できないものだが、だからこそ、アルバートが必死にヘレンをデートに誘うくだりを観ていると、相手を性の対象として考えられず(この辺りがヒューバートとの大きな違いだ)、あくまでプラトニックな求愛しかできない彼があまりに不憫に思えて仕方ない。同情の対象とはなっても、決して恋愛対象にはならない、それがアルバートに対する男性の見方の主流だろうと思う。
 それだけにあの結末は、感動などはそっちのけでさらなる痛烈な悲壮感しか感じられない。平たく言えば、「ただただ可哀想」で、それ以外の感情は浮かばないのだ。そんな救いようのない悲壮感しか感じられない作品の重苦しさを和らげてくれたのは、言うまでもないミア・ワシコウスカの存在だ。彼女が登場するシーンでは、アルバートがまさに至福の時を感じていたのと共鳴するように、観ている者も心を押し潰すような重苦しさから解放される時間なのだ。