評     価  

 
       
File No. 1822  
       
製作年 / 公開日   2013年 / 2013年06月22日  
       
製  作  国   日  本  
       
監      督   大森 立嗣  
       
上 映 時 間   117分  
       
公開時コピー   残酷な事件の被害者と加害者。
15年の時を経て、ふたりは夫婦となった。
 

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   真木 よう子 [as かなこ]
大西 信満 [as 尾崎俊介]
鈴木 杏
井浦 新
新井 浩文
木下 ほうか
三浦 誠己
薬袋 いづみ
池内 万作
木野 花
鶴田 真由 [as 渡辺の妻]
大森 南朋 [as 雑誌記者・渡辺]
 
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あ ら す じ    都会の喧騒から離れた緑が覆う渓谷で、幼児が殺害され実母が犯人として逮捕されるショッキングな事件が起こる。母親の逮捕により事件は解決したかに見えたが、一件の通報により隣家に住む尾崎俊介がこの母親と不倫関係にあったことがわかり、俊介に殺人教唆の疑いがかけられる。通報したのは俊介の妻・かなこだった。
 取材に当たっていた週刊誌記者の渡辺は、かなこが俊介を告発したこと、2人が必要最低限の物しか持たず、まるで何かから隠れているかのような生活をしていることにひっかかりを感じる。調べていくうちに、渡辺は2人を結びつけている15年前の事件に行きつく。それは、和東大学野球部員による暴行事件で、俊介はその加害者の中のひとり、そしてかなこが被害者だったのだ・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    作品のコピーから、15年前の事件の加害者と被害者が夫婦であることは予め分かっていた。ただ、2人ともその事実を知らずに結婚したか、あるいは、加害者である夫の俊介は事実を知らないが、被害者である妻のかなこは知っている、そのいずれかだろうと思っていたし、それ以外の可能性はないと確信していた。ところが、観てみるとそのいずれでもなく、絶対にあり得ないと思っていた第三のケース、つまりは2人とも事実を知りながら一緒に暮らしているという、信じがたい状況であることが分かってくる。
 そこからは、一瞬たりともかなこと俊介の一挙手一投足から目が離せなくなる、そんな一本のロープの上の綱渡りのような緊迫感に囚われる。なぜ、かなこは俊介を夫として受け入れたのか。なぜ、俊介は罪の意識に苛まれることを覚悟でかなこを受け入れたのか。
 かなこの場合は、俊介に一瞬たりとも自らの過去の罪を忘れさせない、そんな意図があったならば、彼との同居も理解でないわけじゃない。だが、一方の俊介は、一体どういうつもりでかなこと一緒に暮らしているのか?贖罪のためか、それとも、自らを常に罰するという枷を敢えて自らの意志で課するとでもいうのだろうか。かなこのセリフ、「互いに不幸になるために一緒にいる」がおそらくはその回答となっているのだろう。ただそうなると、今度はかなこがなぜ進んで自ら不幸になる道を選ぶのか。もう充分不幸を味わったんだから、これからは幸せになるべきじゃないか?なんて無責任な言葉を吐く余地もないようだ。
 上映が終了して、おそらくは観客のほぼ全員が気になったのが、最後に大森南朋扮する渡辺が俊介に対して投げかけた二者択一の質問に対する、俊介の答えだったことは間違いない。なぜなら、俊介が初めて渡辺に対して決意を露わにした表情で、何かを語ろうとしたところで、ちょうど作品は終わってしまうから。舞台挨拶で鶴田真由が言っていた、「ハッキリしない、ドロドロとした思いを抱いて劇場から帰ることになる」という言葉は言い得て妙だ。
 上映終了後の舞台挨拶で、大森監督からモスクワ国際映画祭のコンペティション部門への出品が決まったと報告があった。監督と真木よう子、それに大西信満の3人は、週明けにもモスクワへ飛ぶとのことだ。確かに秀作ではあると思うが、日本人の気質だからこそのこの作品、海外でどのように受け取られるのかがちょっと心配でもある。