評     価  

 
       
File No. 1855  
       
製作年 / 公開日   2013年 / 2013年08月24日  
       
製  作  国   日  本  
       
監      督   佐藤 東弥  
       
上 映 時 間   113分  
       
公開時コピー   その力は、正義か、破壊か  

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   松坂 桃李 [as 健]
綾野 剛 [as ジョー]
剛力 彩芽 [as ジュン]
濱田 龍臣 [as 甚平]
鈴木 亮平 [as 竜]
初音 映莉子 [as ナオミ/ベルクカッツェ]
光石 研 [as カークランド博士]
中村 獅童 [as イリヤ]
岸谷 五朗 [as 南部博士]
 
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あ ら す じ    21世紀。人類は謎の侵略組織“ギャラクター”の襲撃を受け、彼らが駆使する人類のテクノロジーを凌駕する圧倒的なパワーの前に為す術がなく、地球の半分を制圧されてしまう。ギャラクターに唯一通用する武器は不思議な“石”の力だが、それを引き出すことができる“適合者”は800万人にひとりしか存在しない。そして、ISO(国際科学技術庁)の南部博士によって“適合者”としての資質を見いだされ、幼い頃から究極の兵器になるべく鍛えられてきた5人の若者に人類の未来は託された。
 5人の若者、“大鷲の”、“コンドルのジョー”、“白鳥のジュン”、“燕(つばくろ)の甚平”、そして“みみずくの”の5人は“科学忍者隊ガッチャマン”と呼ばれ、、人類の存亡を賭けてギャラクターとの戦いに挑む。
 一方、カークランド博士の手でギャラクター壊滅のための究極兵器“モスコーン”の開発が進められる。それは、石の力を増幅して人工衛星からビームとして発射するというものだった。ところが、モスコーンの存在を知ったギャラクターの首領ベルクカッツェに博士が捕らえられ、世界の主要都市がモスコーンのターゲットに設定されてしまう。
 博士を助け出し、モスコーンの起動を阻止するために、ゴッド・フェニックスに乗り込むガッチャマンの5人。果たして、彼らは世界を破滅から救うことができるのか?そして、健とジョー、そしてベルクカッツェの間に隠された秘密とは・・・・・・?
 
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たぴおか的コメント    テレビでタツノコプロの『ガッチャマン』をリアルタイムで観ていた世代の私としては、観たいやら観たくないやら・・・・・。こういう時に限って、他に観る作品がないもので、仕方なく劇場へ行くことにした(仕方なしで劇場へ行くな、と自分でも思うけど)。松坂桃李や剛力彩芽のファンで混みそうだという私の予想に反して、観客は大多数が私と同じ世代で、やはりテレビアニメの『ガッチャマン』に思い入れがある人たちなのだろう。
 おそらく大半の人(特に若年層)は誤解しているかもしれないが、“ガッチャマン”とは5人のチーム名ではなく、リーダーである健の称号なのだ。そして、この作品はタイトルが『ガッチャマン』であるにもかかわらず、作品中には“ガッチャマン”という呼称は一度も登場しない。また、アニメでは“大鷲の健”“コンドルのジョー”“白鳥のジュン”“燕(つばくろ)の甚平”“みみずくの竜”という、それぞれにモチーフとする鳥の名があるが、この作品ではそれも省略されていて、何だか物足りない思いがしたのは、おそらく私だけではないだろう。
 日本の映画特撮技術もずいぶん進歩したものだと、ちょっと感心したものの、やはり随所には作り物感が露骨に現れてしまっている。ビルからビルへとガッチャマンが飛び移るシーンなどは、『アメイジング・スパイダーマン』のそれと比べると、やはり見劣りしてしまうのが残念だ。
 コスチュームをあくまで今風にしたのかもしれないが、TVアニメの軽快なイメージは吹っ飛んでしまっていて、見た目重苦しいのなんのって。しかも、あのコスチュームを着て歩く松坂桃李が、明らかに歩きにくそうにしているのが露骨に観て取れる。あんなゴテゴテののコスチュームになった理由のひとつは、もしかしたらジュン役の剛力彩芽のスタイルの貧弱さ、というか、ズバリ言えばバストの貧弱さにあるように思えて仕方ない。そんな彼女に、夜会のシーンであんなドレスを着させちゃいけない。胸のところがたるんで、観ていてむしろ可哀想に思えてしまうから。
 TVアニメとは世界観も全く異なるこの作品、おそらく賛否両論に分かれそうだが、私は劇場版の1話完結ものとしては、キャスティングを除けばそんなに悪くないと思う。主演の松坂桃李はともかく、ジョー役の綾野剛は違和感感じまくりだし、剛力彩芽に至っては・・・・・おそらく誰もが同じ考えだと思うから、敢えてコメントはしないけど(笑)。