評     価  

 
       
File No. 1901  
       
製作年 / 公開日   2013年 / 2013年11月02日  
       
製  作  国   日  本  
       
監      督   吉田 恵輔  
       
上 映 時 間   119分  
       
公開時コピー   どうか
この人生が・・・
シナリオ通りに
なりますように
 

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   麻生 久美子 [as 馬淵みち代]
安田 章大 [as 天童義美]
岡田 義徳 [as 松尾健志]
山田 真歩 [as マツモトキヨコ]
清水 優 [as 亀田大輔]
秋野 暢子 [as 天童育子]
松金 よね子 [as 馬淵絹代]
井上 順 [as 馬淵治]
 
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あ ら す じ    学生時代からシナリオライターを目指しているが、なかなか芽の出ない34歳の馬淵みち代は、友人のマツモトキヨコを誘って社会人コースのシナリオスクールに通い始める。そこで出会ったのは、自称もうすぐ天才脚本家の超自信過剰な“ビッグマウス野郎”こと天童義美・28歳だった。
 そんな天童を毛嫌いするみち代だったが、あろうことか天童は“ばしゃ馬”のようにシナリオを書き続けるみち代にひと目ぼれしてしまう。しかし、「俺がつき合ってほしいって言ったらどうする?」と問いかける天童に対して、みち代は「ありえない」とあっさり切り捨ててしまうのだった。
 長い間頑張ってきたみち代にとって、口先ばかりの天童は恋愛対象以前に性格的にまったく合わないタイプだった。しかも、みち代の頭の中はシナリオのことばかり。お洒落も恋愛もそっちのけで、合コンの席でもバイト中でもいいアイデアが思いつけばパソコンを開いてせっせと書き出すのだった。それでもなおコンクールの一次審査も通らず、まだまだストイックにならないと、とみち代は自分を奮い立たせるのだった。
 そんなある日、シナリオスクールの講師として来ていた映画監督の何気ない一言をきっかけに、老人ホームを舞台にした介護の話を書くことにした馬淵は、かつて役者を目指していたが今は介護士として働く元恋人の松尾健志に頼んで老人ホームのボランティアを始める。しかし、キヨコが映画の脚本を書くことになったと知り、嫉妬とやるせなさで落ち込んでしまう。
 一方、ひたむきに夢を追いかけるみち代の姿に刺激された天童は、初めて自分自身を見つめペンをとることを決意する。やがて、反発しあっていた2人の距離は徐々に縮まっていくのだが・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    以前に観た『俺はまだ本気出してないだけ』といいこの作品といい、主人公の姿が観ていてとても痛い。自分に才能がないことは百も承知で、それでも努力すれば夢は叶うと信じて、夢にすがり続けるみち代。一方で、その自信は一体どこから来るのか?と訊きたくなる“ビッグマウス”の天童よしみ・・・・・じゃなくて天童義美。足して2で割ればちょうどいいんじゃないかと思える2人はまさに水と油で、衝突することは必至だ。
 “努力すれば夢は叶う”とはよく言われるが、この言葉は一種の麻薬のようなもので、この言葉を信じてしまったがために、夢を諦めきれなくなってしまう。もちろん、夢を追い続けることは大切だが、現実の世界では生きていかなければならないという大前提があって、生きるためにやむなく夢を諦めてしまう、それが大半の人間の辿る道筋で、この作品の岡田義徳演じる松尾健志はその典型的な例だろう。彼だって夢はまだ捨て切れていない。だが、それでも現実を優先させなければならないのだ。
 みち代にとっては、天童の何気ない一言一言が、自分のことをよくわかっているだけに、ことごとく心に突き刺さったことだろう。シナリオコンクールの傾向と対策を講じたか?というみち代の問いに対して、そんなことをするのは実力がないからで、実力があれば書いたシナリオは自ずと選ばれる、と言う天童の言葉は真理だ。例えば大学受験でも、実力のある奴は馬車馬のように努力することなく合格するわけで、「傾向と対策」を練るのは、その大学に合格するギリギリかもしくは及ばない実力しか持たない人間なのだ。努力だけでは夢は叶わない。実力という土台の上に努力を積み重ねてこそ、成功を勝ち取れる。非情なようだが、これが真実なのだ。それがわかっているからこそ、みち代を観ていると痛くて仕方ないのだ。
 一方のビッグマウスこと、安田章大演じる天童は、『俺はまだ』の堤真一演じる大黒シズオと通じるところがある。現実という巨大な壁にぶち当たることを避け続け、それでいて自分は本気を出せばシナリオを書くことなど簡単だと言い切る天童。彼は自分でも気づかないうちに、モラトリアムに陥ってしまっている。シナリオを書かないのは、書くことで自分の信念が脆くも崩れ去ることを、本能的に恐れているのだ。だから、始めて書いたシナリオが、一次審査も通らずに落選したことは、みち代には想像できないほど大きな痛手だったのだ。
 先に「足して2で割ればちょうどいい」と書いたが、そんな2人だからこそ、接する機会を重ねるにつれて、互いの足りない部分を補い合えばいいことにやがては気づく。ところが、そこからは二人三脚でタッグを組んでいけば・・・・・と思わせておいて、実は時既に遅く、みち代は長い間しがみついてきた夢に訣別する意思を固めてしまうのだ。思えばみち代もまた、長い間モラトリアムから脱却できずにいたんじゃないのかな。