評     価  

 
       
File No. 1913  
       
製作年 / 公開日   2013年 / 2013年11月15日  
       
製  作  国   アメリカ  
       
監      督   リドリー・スコット  
       
上 映 時 間   118分  
       
公開時コピー   罪を、選んだ。  

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
キ ャ ス ト   マイケル・ファスベンダー [as カウンセラー(弁護士)]
ペネロペ・クルス [as ローラ]
キャメロン・ディアス [as マルキナ]
ハビエル・バルデム [as ライナー]
ブラッド・ピット [as ウェストリー]
ブルーノ・ガンツ [as ダイヤ商人]
ディーン・ノリス [as バイヤー]
ゴラン・ヴィシュニック [as 銀行家]
トビー・ケベル [as トニー]
エドガー・ラミレス [as 僧侶]
ロージー・ペレス・ラミレス [as ルース]
リチャード・カブラル [as バイカー]
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
あ ら す じ    メキシコ国境付近の町で弁護士をしている通称カウンセラーは、恋人ローラとの結婚も決まり人生の絶頂期にあった。彼は実業家のライナーと手を組み、裏社会のブローカー、ウェストリーも交えて麻薬取引に手を染める。
 その仕事は巨額の利益を生むはずだったが、ひょんなことから歯車が狂い始める。麻薬の運び屋が何者かに殺され、麻薬が盗まれてしまったのだ。しかも、その運び屋とは偶然にも、カウンセラーが弁護を担当していた受刑者ルースの息子だった・・・・・。
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
たぴおか的コメント    例えば、ロン・ハワード監督の『RUSH/プライドと友情』は、「観客の93%が満足」という前評判があったりするが、豪華なキャストを揃えたわりには「面白い」という評判が聞こえてこないこの作品。それどころか、不評説まで流れているようで。とにかく前半は伏線だらけで、本線が全く見えてこない。この辺りで緊張の糸が切れる向きは多いんじゃないだろうか。そして、ホラー映画も顔負けの首切りシーンからは急転直下、やっと本編に入ったように思ったが、時既に遅しでもはや戦意喪失状態に陥っていた。もしかすると、もう一度観れば面白さがわかるのかもしれないが、残念ながら2度観るほどの魅力はない。
 「R15+」指定の視聴制限があるのは、エロとグロのシーンが少なくないためだろう。ワイヤーで首を切られて死ぬ人間が誰とは言わないが2人、登場人物の中で唯一善良だと言えるペネロペ・クルス演じるローラも殺されてしまうが、殺害シーンがないのは唯一の救いだ。そして、エロの筆頭はと言えば、ハビエル扮するライナー曰く「フェラーリとFuckした」という、キャメロン・ディアス扮するマルキナが、180度開脚で(彼女、バレリーナ並に体が柔らかかったとは驚き)ライナーに局部を見せつけるシーン。さすがにあれは目を背けたくなる。
 『プロメテウス』でも起用しているところを見ると、リドリー・スコット監督はよほどマイケル・ファスベンダーを気に入っているようだが、キャスト陣を見れば彼が最も格下なのは明らかだ。私も彼は別に嫌いな役者じゃないものの、そこまで魅力的な俳優かと訊かれれば答えは“否”だ。
 日本でカウンセラー( = COUNSELOR)といえば、専ら「臨床心理学などを修め,個人の各種の悩みや心理的問題について相談に応じ,解決のための援助・助言をする専門家」という使われ方だが、この作品では弁護士という意味で使われている。だったら、なぜ“THE LAWYER”じゃないのか?なんて、ひねくれ者の私は思ったりするのだ。ただ、その点は映画云々の話じゃなく、そもそも原作がそうなのだから仕方ないだろう。それにしても、邦題の『悪の法則』とは、あまりのセンスのなさに逆に感心してしまう。
 この作品の脚本を担当しているのは、『ノーカントリー』『ザ・ロード』の原作者であるコーマック・マッカーシーだが、いくら書いた小説が秀作だとしても、初めて手掛けた脚本も秀逸だとは限らない。『ノーカントリー』では強烈な印象を植え付けたハビエル・バルデムが、この作品でワケのわからない立ち位置の、単なるオッサンでしかないのが、両作品の質を象徴している気がしてならない。