ご存じ、桜坂洋の小説『All You Need Is Kill』を、『ボーン・アイデンティティ』『Mr. & Mrs.スミス』のダグ・リーマン監督がメガホンを執り映画化した作品。もちろん私は原作となる小説を読んではいないのだが、それが功を奏してか1本の映画として充分に面白く観ることができた。ただ、原作となる小説のタイトル『All You Need Is Kill』が内容にそぐわない気がして、その違和感は未だに残っている。
トム分する軍人ウィリアム・ケイジ少佐は、実は全く実戦経験のないヘタレ軍人で、そんな彼が突然ギダイとの戦いのまっただ中、それも最前線の兵士として戦場へ送り込まれてしまう。当然のことながら、いとも簡単に戦死してしまうのだが、なぜか気がつくと戦場へ送り込まれた当日の朝に戻っている。当のケイジ自身にも、一体何が起きているのかがわからないのだが、リタと出会って次第に謎が明かされていく。リタもかつてケイジと同じループを体験した、というのは、ケイジに絶対的な味方を作るために以降、このタイムループが以降繰り返されるのだが、ケイジが傷つくとリタはためらわずに銃で殺してしまう。それは、あたかもボスキャラと戦って負けてしまい、迷わずリセットボタンを押すという、ゲーム感覚に通じるものがある。
同じ時間のループをケイジが繰り返す描写が、巧くダイジェスト版にまとめられていて、その辺りの構成の巧さは気に入った。自分の言葉を曹長に信じさせるために、小隊メンバーのトランプ賭博を言い当ててみたり、また別の機会には、小隊メンバーの信頼を得るために、逆にトランプをバレないようにさり気なく隠したり。その時その時の意図によって、ケイジの行動が微妙に変わるのは面白い。
そんなケイジが、過去に自分もタイム・ループを経験したというリタに出会うのだが、当然タイム・ループ能力があるケイジには過去のループの記憶は全て残っているが、一方のリタにとっては、常にケイジとは初対面になるわけだ。だから、2人の互いに対する接し方に、次第に温度差が生じてくる。繰り返しリタと同じ時間を過ごすケイジには、当然リタに対して特別な感情が生まれてきてもおかしくない。対するリタは、常にケイジをスキルアップすることしか頭にないから。ラストシーンでは、おそらくケイジはリタに今までの経緯を打ち明けることはないと思われるから、初対面のリタに向かってニッコリと微笑むケイジは、リタから見れば「気持ち悪い奴」だったことだろう(笑)。
ケイジも負傷をして輸血をされ、ループ能力を失ってしまう(失血じゃなく輸血でってのは今ひとつ説得力に欠けるが)と、「ここから先は初めてだから」とぶっつけ本番になるのだが、それまでの緻密な構成に比べて大雑把で、ゴリ押しで無理矢理まとめたように感じられるのが惜しまれる。