評     価  

 
       
File No. 2117  
       
製作年 / 公開日   2013年 / 2014年11月08日  
       
製  作  国   イギリス  
       
監      督   リチャード・アイオアディ  
       
上 映 時 間   93分  
       
公開時コピー   お前は、俺だ。
自分は、誰だ。
 

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   ジェシー・アイゼンバーグ [as サイモン・ジェームズ/ジェームズ・サイモン]
ミア・ワシコウスカ [as ハナ]
ウォーレス・ショーン [as Mr.パパドプロス]
ヤスミン・ペイジ [as メラニー・パパドプロス]
ノア・テイラー [as ハリス]
ジェームズ・フォックス [as 大佐]
キャシー・モリアーティ [as キキ]
フィリス・サマーヴィル [as サイモンの母]
ジョン・コークス [as 警官]
スーザン・ブロンマート [as リズ]
ブルース・バイロン
J・マスシス
トニー・ロア
サリー・ホーキンス
クリス・オダウド
パディ・コンシダイン
クレイグ・ロバーツ
カーストン・ウェアリング
 
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あ ら す じ    厳しい束縛と管理体制の中、労働者は単なるコマにしかすぎない世界。“大佐”なる者が君臨する不穏な雰囲気の会社で働くサイモン・ジェームズは、気は優しいが要領の悪い内気な男。勤続7年になるが、その存在感の薄さから名前もまともに覚えてもらえない。上司のパパドプロスからはひどい扱いを受け、同僚にはバカにされ、入院中の母親からも蔑まれる日々。密かに恋するコピー係のハナの部屋を自室から望遠鏡で覗くのが習慣だった。
 そんなある夜、いつものように望遠鏡を覗いていた彼は上層階の窓際に立つ一人の怪しい男を発見するが、男はサイモンに向かって手を振るとそのまま静かに飛び降りる。この日を境にサイモンの人生はさらなる悪状況へと陥っていく。会社期待の新人として入社してきたジェームズ・サイモン<は、顔、背格好、ファッション、そして爪の形までサイモンと瓜二つの男であった。もう一人の“自分”の出現に激しく動揺するサイモンだったが、上司や同僚は誰一人としてこの状況に驚くことも不思議がることもしない。ジェームズは瞬く間に会社に馴染み、一方のサイモンはますます影の薄い存在になっていく。
 サイモンとジェームズの容姿は全く同じであったが、性格だけは真逆だった。サイモンはハナに対しまともにアプローチもできないが、ジェームズは多くの女性を虜にし一度に複数と付き合うことができた。サイモンは自己主張をせず仕事を正当に評価してもらえないが、ジェームズはそのアピールの強さですぐさま上司の信頼を得てしまう。そしてサイモンは真面目で優しいが、ジェームズはいい加減でずる賢かった。自信家でカリスマ性を持つジェームズの魅力はハナをも巻き込み、彼女はジェームズに惹かれていく。
 ハナのためにジェームズとの仲を取り持つサイモンだが、心の中は不安と悲しみに溢れていた。やがてジェームズは“替え玉スイッチ”をサイモンに強要し始める。互いの適正を活かし、時と場合によって2人が入れ替わることでその場をうまくしのいでいこうというのだ。だが狡猾なジェームズの行動は徐々にエスカレート、サイモンは自分の人生を乗っ取られ“存在”そのものを奪い去られる恐怖を感じ始めるのだった・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    何とも奇妙な世界観の作品で、登場人物は少なくないものの大部分は枝葉の役柄に過ぎず、本筋はほぼジェシー・アイゼンバーグとミア・ワシコウスカの2人芝居(いや、3人芝居と言うべきかな?)と言っていい。ジェシー演じるサイモンとミア演じるハナが勤務する会社や住んでいるアパートが実に古くさくて、どう見ても今から40〜50年ほど過去の時代設定に思えてしまう。携帯電話が全く登場せず、全て固定電話なんていう映画を久しぶりに観た気がする。そして、そんなレトロ感に拍車をかけるように、ジュークボックスで主人公サイモンがかけた曲が坂本九の『上を向いて歩こう』だったり、BGMとしてやブルー・コメッツの『ブルー・シャトー』が流れていたり。あんな曲を聴かされたら、日本人の私には時代設定が1960年代に思えるのも当然だが、外国人がこのBGMを聴いたら一体どう感じるのだろうか?
 主人公の名前がサイモン・ジェームズで、もう一人の分身的存在がジェームズ・サイモンだなんて・・・・・通常、一人二役は異なる人物を演じるのだが、この作品は見た目が服装まで全く同じ2人をジェシー・アイゼンバーグが演じている。だから、果たしてそれがサイモンなのか、それともジェームズなのか、両者の区別に戸惑うこと必至だ。もしもそれが狙いだとしたら、この作品の脚本と監督を務めるリチャード・アイオアディという人物、相当意地の悪い悪戯好きな人物なんじゃないだろうか。
 サイモンとジェームズ、その区別をさらにつけ難くしているのが、ミア・ワシコウスカ演じるハナのあまりに両極端に振れる言動だ。サイモンに好意を寄せているかと思うと、掌を返したような態度をとる。サイモンとデートしていたはずなのに、ジェームズと入れ替わったことをわかっていてキスなんかしちゃって。その辺りの成り行きはもう理解不能で、「女心と秋の空」なんて言葉じゃ片付けられない。もう完全に混乱の渦の中にたたき込まれた気分だった。
 全体が淡いセピア色に覆われているような映像が、この作品の摩訶不思議さを増幅している。なぜ、周囲の人間はサイモンとジェームズが鏡に映したように全く同じ顔で背格好、服装だということに気づかないのか?なぜ突然サイモンのIDカードが無効になってしまったのか?そんな不条理さが満載なのがこの作品の売りで、この手の作品に理詰めで対抗しようとするのは愚の骨頂というものだろう。もう一度頭を整理したうえで、劇場で観直してみたい気がする。