評     価  

 
       
File No. 2167  
       
製作年 / 公開日   2014年 / 2015年02月14日  
       
製  作  国   日  本  
       
監      督   廣木 隆一  
       
上 映 時 間   119分  
       
公開時コピー   52歳独身の大学教授
恋をしないと決めた女
「ずっとひとりだと思ってたのに
。」
 

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   榮倉 奈々 [as 堂薗つぐみ]
豊川 悦司 [as 海江田醇]
向井 理 [as 中川俊夫]
安藤 サクラ [as 秋本岬]
前野 朋哉 [as 園田哲志]
落合 モトキ [as 友生貴広]
根岸 季衣 [as 堂薗今日子]
濱田 マリ [as 海江田小夜子]
徳井 優 [as 海江田民夫]
木野 花 [as 坂田佳代]
美波 [as 女性秘書]
岩佐 真悠子 [as 富岡春美]
紺野 千春 [as 下屋敷十和]
朝倉 えりか [as 鯰田みゆき]
若林 瑠海 [as 富岡まこと]
坂口 健太郎 [as 信夫]
 
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あ ら す じ    東京のIT企業でキャリアを積んだ堂薗つぐみは、不倫の恋に破れて疲れ果て、仕事を辞めて田舎で一人暮らしをする祖母の元を訪れる。ところが、間もなく祖母が他界して、つぐみは祖母が営んでいた染め物を引き継ぎながら、古い一軒家を守っていこうと決心した矢先、独身の大学教授・海江田醇と出会う。
 若い頃に祖母に対して恋心を抱いていたという海江田は祖母から鍵を預かっており、以前に祖母に許可をもらっていたからと、強引に離れで暮らし始めてしまう。おまけに、冗談とも本気ともとれない態度でつぐみを口説く海江田。そんな不躾で強引な海江田に、つぐみは反感を覚える。それでも追い払うこともできず、渋々一緒に暮らし始めるつぐみだったが、次第に海江田に対して心を開いていく・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    久しぶりに初日舞台挨拶に臨んだ。登壇者は榮倉奈々、豊川悦司、向井理、それに廣木隆一監督で、上映後の挨拶とあってもっと突っ込んだ話を聞けて盛り上がるだろういう私の期待はあっさりと裏切られ、通り一遍の話しか聞けなかったのはちょっと残念。もっとも、そうなったのには理由があって、そのおかげで非常に満足できる初日舞台挨拶となったのだが。
 詳しいことは“Daily Memorandum”に譲るとして、肝心の映画の内容は、決して悪くはないが、かと言って、これが廣木隆一監督作品の最高峰だというコメンテーターの言葉も信じ難い。これがもし本当に廣木監督の最高だとしたら、今までの彼の作品にはロクなものがなかったことになるし。
 榮倉演じるアラサーの女性・堂薗つぐみと、トヨエツ演じる52歳の大学教授・海江田醇の恋物語は、今ひとつ現実感に欠けて、まるで夢の中の話のよう。つぐみが海江田を好きになる心理の変化が乏しく、それに輪をかけて海江田がツグミに対して恋愛感情を抱くようになった経緯に関しては全く描かれていないためだろう。
 物語は起承転結があって成り立つものだが、この作品もその骨子を忠実に押さえてある。そして、「起」に相当するのがつぐみと海江田の出会いで、「承」に当たるのが2人が相思相愛となることだとすれば、「結」に相当するのが向井理演じる中川俊夫の登場なのだが、これがあまりに予定調和すぎて面白味に欠ける。すこし頭がいい奴なら、つぐみと海江田の間の空気を察知して、自分がお呼びじゃないことくらいわかりそうなもの。もし中川がそんな空気を読めない奴だったら、つぐみは中川を好きになったりしないだろう。2人の間に波風を立てるべく登場したのは見え見えで、しかもその波風がほんのさざ波程度にしかならないんじゃ、向井理は捨て駒同然だね。
 海江田醇という一生のうちのほんのわずかの時間を切り取っただけの物語に『娚の一生』というタイトルは、ちょっと大袈裟に感じる。また、なぜ“男”ではなく“娚”という字を使ったのかもわからない(“娚”って文字、部首から検索しなければならないから、打つのがとても面倒なんだよね ^-^;)。そもそも“娚”は単なる擬声語のようで特に意味はなく、ただ日本語では「めおと」という読みはあるらしいが、この文字を使って「おとこ」と読ませることはないようだ。蛇足かもしれない、漢字トリビアでした。