評     価  

 
       
File No. 2251  
       
製作年 / 公開日   2015年 / 2015年07月18日  
       
製  作  国   アメリカ  
       
監      督   ピート・ドクター  
       
上 映 時 間   94分  
       
公開時コピー  
なぜ、カナシミは必要なの・・・? これは、あなたの物語
 

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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声 の 出 演   エイミー・ポーラー [as ヨロコビ]
フィリス・スミス [as カナシミ]
ルイス・ブラック [as イカリ]
ミンディ・カリング [as ムカムカ]
ビル・ヘイダー [as ビビリ]
ケイトリン・ディアス [as ライリー]
カイル・マクラクラン [as パパ]
ダイアン・レイン [as ママ]
リチャード・カインド [as ビンボン]
 
(日本語吹替版)   竹内 結子 [as ヨロコビ]
大竹 しのぶ [as カナシミ]
浦山 迅 [as イカリ]
小松 由佳 [as ムカムカ]
落合 弘治 [as ビビリ]
伊集院 茉衣 [as ライリー]
花輪 英司 [as パパ]
田中 敦子 [as ママ]
佐藤 二朗 [as ビンボン]
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あ ら す じ    明るく幸せに育った11歳の少女ライリーは、パパの仕事の都合で今まで住んでいた田舎に別れを告げ、大都会サンフランシスコに引っ越してくる。ライリーが新しい生活に慣れようとしていく中、彼女の頭の中にある5つの感情──ヨロコビ(=Joyイカリ(=Angerムカムカ(=Disgustビビリ(=Fear、そしてカナシミ(=Sadness、それぞれがライリーの幸せを守ろうと奮闘していた。
 けれども、それぞれに大事な役割を持っていた感情たちだったが、カナシミだけは誰もその役割が分からなかった。そんなある日、ふとしたトラブルでヨロコビとカナシミが司令室から吸い出されてしまう。ヨロコビとカナシミが消え、司令室は大混乱。おかげでライリーの様子もおかしくなってしまう。一方、早く司令室に戻らねばと、広大な頭の中で右往左往するヨロコビとカナシミだったが、彼らの行動はライリー自身の感情となり、予想のつかない大事件を巻き起こしていく・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    このところのディズニー作品では恒例となった、本編上映前のショートアニメ。今回は『南の島のラブソング』という、島を擬人化した作品なのだが、これに登場する島の造形が結構気色悪かったりする(笑)。特に、女性の島の埴輪のような顔が。多分、自分が子どもの頃にこれを観たなら、その夜には島が登場するナイトメアにうなされたことだろう(笑)。観る者に夢を与えるような作品なんだから、せめてもっと愛らしいキャラクターにして欲しかった。また、上映前にドリカムが歌う主題歌が披露されたのも異例のことじゃないかな。ピクサー長編アニメの20周年を記念しての計らいだろうか。
 それはともかく、『脳内ポイズンベリー』と結構ダブるんじゃないかと危惧されたこの作品。ちなみに、『脳内』ではポジティブ、ネガティブ、衝動、記憶、そして理性の5キャラクターだったが、こちらは喜び、悲しみ、ビビリ、ムカムカ、怒りの5タイプで、そもそもの切り口が違う。いずれが正しくていずれが間違っているかじゃなく、それぞれに見所が違って面白い。
 2D・日本語吹替版での鑑賞となったが、ヨロコビ役の竹内結子のセリフが多いこと。吹替版だったことが、この時ばかりはラッキーだった。そして、面白いのは作品中の随所に日本語が見られること。イカリが呼んでいる新聞(?)の見出しが日本語だし、標識とか表示がことごとく日本語なのだ。これは日本語吹替版のみのことなのだろうか、それとも本国でも日本語で上映されたのか、字幕版を観てみたくなった。
 コピーにもある通り、「なぜカナシミは必要なのか?」これが作品の大きなテーマになっている。その理由を、ヨロコビはもちろんのこと、当のカナシミ本人も知らない。だから、ライリーの思い出を楽しいものにするべく、ヨロコビはカナシミを思い出のの球に触らせないようにあくせくするのだが、結論はそれが間違っていたということ。そりゃそうだ、影があってこそ光が引き立つわけで、カナシミのないヨロコビばかりじゃそれはもはやヨロコビとは呼べない。辛いこと、苦しいことがあってこそ、喜びは輝くことができる、ヨロコビとカナシミはそれに気づいたということだろう。