評     価  

 
       
File No. 2846  
       
製作年 / 公開日   2017年 / 2018年08月31日  
       
製  作  国   レバノン / フランス  
       
監      督   ジアド・ドゥエイリ  
       
上 映 時 間   113分  
       
公開時コピー   ただ、謝罪だけが欲しかった。  

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   アデル・カラム [as トニー・ハンナ]
カメル・エル・バシャ [as ヤーセル・サラーメ]
カミーユ・サラメ [as ワジュディー・ワハビー]
リタ・ハイエク [as シリーン・ハンナ]
クリスティーヌ・シューイリ [as マナール・サラーメ]
ジャマン・アブー・アブード [as ナディーン・ワハビー]
 
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あ ら す じ    レバノンの首都ベイルート。その一角で住宅の補修作業を行っていたパレスチナ人の現場監督ヤーセル・サラーメと、キリスト教徒のレバノン人男性トニー・ハンナ、アパートのバルコニーからの水漏れをめぐって諍いを起こす。このときヤーセルがふと漏らした悪態はトニーの猛烈な怒りを買う。後日、勤務先の社長に後押しされたヤーセルは、渋々トニーに謝罪に出向くのだが、今度はトニーからのヤーセルのタブーに触れるような“ある一言”に尊厳を深く傷つけられ、トニーを殴ってしまう。これによトニーは肋骨を骨折するという負傷を負い、りふたりの対立は法廷へ持ち込まれるのだった。
 やがて両者の弁護士が激烈な論戦を繰り広げるなか、この裁判に飛びついたメディアが両陣営の衝突を大々的に報じたことから裁判は巨大な政治問題を引き起こす。かくして、水漏れをめぐる“ささいな口論”から始まった小さな事件は、レバノン全土を震撼させる騒乱へと発展していくのだった・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    そもそも諍いなんてほんの些細な理由から始まって、両者引っ込みがつかなくなり収拾がつかないほど大きくなるもので、この作品の2人の裁判沙汰もその域を超えるものではない。原告となったトニーは被告・ヤーセルの謝罪を求めていたわけだが、そこに至るまでを冷静に顧みるに、どう考えてもトニー側の非が大きいとしか思えない。
 ヤーセルら作業員に対して故意でベランダから水がかかるように仕向けたトニーに対し、ヤーセルは金銭を要求することなくトニーの家のベランダに樋を設置したのだが、トニーはそれを悪態とともにたたき壊した。そんな真似をされたら誰しもカッとなるのは当然で、ヤーセルに謝罪を求めるならば、まずはトニーが自らの器物損壊というれっきとした犯罪を償い、さらにはヤーセルに投げつけた言葉を謝罪すべきだろう。それを一方的に相手に侮辱されたとわめくトニーの自己中な主張は、正直観ていてあまり気持ちのいいものじゃなく、心情的にはヤーセルに大きく加担したくなる。だから、観ている者の大半ははおそらくヤーセル=「善」、トニー=「悪」という図式を作ってしまうのではないかと思う。
 2人がこじれた背景には、どうやら舞台となったレバノンという国が抱える民族の問題が深く関わっているようだ。レバノンは、地中海に面し南側の国境でイスラエルと接する国で、人工の大半を占めるアラブ系レバノン人と、少数派のパレスチナ人という2派の間には、建国以来現在に至ってもなお確執があるようだ。その辺りの予備知識があれば良かったのだが、幸い私のような何らレバノン事情を知らない者でも、トニーがヤーセルに投げた言葉が著しくヤーセルを侮辱するものであることはわかる。
 だから、下された判決には溜飲が下がるものであったし、その後の2人がいわゆる“雨降って地固まる”となるだろうことは想像するに難くない。また、原告のトニーの弁護士と被告のヤーセルの弁護士が実の父と娘というのも、微妙に訴訟に影響を与えていて面白い。諍いの発端はともかく、後味は決して悪くない作品だ。