評     価  

 
       
File No. 2891  
       
製作年 / 公開日   2018年 / 2018年11月09日  
       
製  作  国   日  本  
       
監      督   静野 孔文  
       
上 映 時 間   90分  
       
公開時コピー   その<黄金>は<絶望>すら焼き尽くす  

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   宮野 真守 [as ハルオ・サカキ]
櫻井 孝宏 [as メトフィエス]
花澤 香菜 [as ユウコ・タニ]
杉田 智和 [as マーティン・ラッザリ]
梶 裕貴 [as アダム・ビンデバルト]
諏訪部 順一 [as ムルエル・ガルグ]
三宅 健太 [as リルエル・ベルベ]
堀内 賢雄 [as ウンベルト・モーリ]
中井 和哉 [as ハルエル・ドルド]
山路 和弘 [as エンダルフ]
上田 麗奈 [as マイナ]
小沢 亜樹 [as ミアナ]
小野 大輔 [as エリオット・リーランド]
早見 沙織 [as ハルカ・サカキ]
鈴村 健一 [as アキラ・サカキ]
 
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あ ら す じ    21世紀初頭、ゴジラに地球を奪われた人類は、一部の人類を他恒星系への移住に送り出すも、計画は失敗に終わる。失意のまま地球へと帰還した人類を待ち受けたのは、2万年後の変わり果てた姿になった地球だった。あらゆる動植物がゴジラ細胞を持つ“怪獣惑星”と化した地球。そこに君臨するのは体高300mを超える史上最大のゴジラ、“ゴジラ・アース”だった。
 ゴジラ討伐に執念を燃やすハルオ・サカキは、人類の遠い子孫である種族フツアと出会う。ハルオたちは、フツアの双子の姉妹マイナミアナの導きにより対G決戦兵器・メカゴジラの残骸が、増殖を続けていることを発見する。残骸を構成するナノメタルを使って武装要塞都市“メカゴジラシティ”を起動させ、“ゴジラ・アース”に挑む。
 この作戦の中、かねてより共存してきた異星人種族の一つビルサルドと人間たちとの亀裂が表面化する。ビルサルドのリーダー、ムルエル・ガルグの「ゴジラを倒すならば“ヒト”を超えた存在へ」という信念に対し、ハルオは「怪獣を倒すために自らも怪獣になってはいけない、“人”として打ち勝つべき」という信念を捨てられなかった。ついには、“ゴジラ・アース”を倒す唯一のチャンスを捨て、ハルオはガルグを葬ってしまう。一方、ハルオの幼馴染であるユウコ・タニはビルサルドによる人体の強制ナノメタル化により、脳死状態に陥ってしまった。
 人間たちに広がる敗北感と虚無感。もう一方の異星人、宗教種族エクシフの大司教・メトフィエスは、ハルオが戦いに生き延びたことは“奇跡”だと唱え、信者を増やしていく。それはエクシフが秘め隠してきた“究極の目的”のためだった。そんなメトフィエスを警戒するミアナとマイナ。そして、ハルオは、自らが“人”として何を為すべきかを自問する。
 やがて、“ゴジラ・アース”を打ち倒す者がいなくなった地球に、金色の閃光を纏った“ギドラ”が降臨し、天地を揺るがす超次元の戦いが始まる。“ゴジラ”とは何か。“人”が為すべきことは何か。ハルオが目にする未来とは・・・・・?
 
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たぴおか的コメント    アニゴジ3部作の完結編で、やはりゴジラを倒すのはコイツしかいないだろう、と言わんばかりに満を持して登場のキングギドラ(この作品では、“キング”なしのギドラだけど)。実写版でもゴジラと双璧をなすこの怪獣、やはり三つ首の黄金の竜というのはインパクトとしてはゴジラを遥かに凌駕していて、2019年に公開予定のハリウッド版最新作『GODZILLA: KING OF THE MONSTERS』でもモスラ、ラドンと共に登場する予定のようだ。
 本来であればゴジラを倒す救世主となりそうなギドラだが、実はゴジラよりも遥かに厄介な「破壊の神」とでも言うべき存在で、人類の希望は一転して絶望に変わるのだ。そして、ギドラを取るかゴジラを取るかのジレンマに追い込まれる、それがこの作品の最大の見所だ。エクシフは果たしてゴジラを倒すためにギドラを召喚したのか、それともゴジラは元々眼中にすらなくギドラを召喚することが当初からの目的だったのだろうか。どうやら後者が正解のようだが、だとしたらゴジラの登場など待つ必要などなかったのに。
 2作目までがそこそこ悪くなかったからこそ観たこの3作目の完結編なのだが・・・・・やたら宗教色が強くて、また高尚な言葉を並べてやたら観念的過ぎて、映画作品としてのエンターテイメント性が希薄に思えるのは私だけじゃないだろう。説教を聞かされるために料金を払って劇場に集まったわけじゃないんだから、そういうのは幸福の科学に任せて、一部のマニアにのみ受け入れられるような作品じゃなく、万人向けの娯楽大作にして欲しかったものだ。