評     価  

 
       
File No. 2895  
       
製作年 / 公開日   2018年 / 2018年11月17日  
       
製  作  国   日  本  
       
監      督   武 正晴  
       
上 映 時 間   97分  
       
公開時コピー   これほど美しく、手に持ちやすいものを、私は他に知らない。  

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   村上 虹郎 [as 西川トオル]
広瀬 アリス [as ヨシカワユウコ]
日南 響子 [as トースト女]
新垣 里沙 [as 隣の母]
岡山 天音 [as ケイスケ]
後藤 淳平
中村 有志
日向 丈
片山 萌美
寺 十吾
サヘル・ローズ
山中 秀樹
村上 淳 [as オッサン]
リリー・フランキー [as 刑事]
 
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あ ら す じ    大学生、西川トオルは、雨の夜の河原で、ひとりの男の死体と共に放置されていた拳銃を手にし、それを自宅アパートに持ち帰った。まもなく、その銃は彼にとって、かけがえのない宝物のような存在になった。見つめれば見つめるほどに、触れたならば触れるほどに、愛しさがこみあげてくる。誰かを脅すことも、守ることも、殺すことも、また自ら死ぬことも可能にする銃という<道具=武器>は、大学生活の心的様相もあざやかに変えていく。
 悪友のケイスケに合コンへ誘われたトオルは、その夜出逢った女と一夜を過ごす。翌朝、目覚めると女がトーストを焼いていた。朝食をとりながらテレビを見ていると、あの銃と関係する男の遺体が発見されたというニュースが目に飛び込んでくる。途端に気分が悪くなったトオルに対し、優しく接する女。その日以来、トオルは彼女のことを“トースト女”と頭の中で呼ぶことにした。そしてセックスフレンドとして、度々性欲を吐き出すようになる。
 アパートの隣の部屋から、時折、子供の泣き声と、我が子を罵倒する母親の声が漏れてくる。それはトオルにとって、親との忌まわしい過去をよみがえらせる。彼は大音量の音楽で打ち消そうとしていた。
 大学の学食で、以前も講義中に話しかけてきたヨシカワユウコと再会した。トオルは、やけにフレンドリーで、自分に興味がある素振りを見せる彼女と付き合うことを妄想した。すぐにセックスする対象ではなく、あえて時間をかけて親しくなることを計画した。それはきわめて魅惑的な「ゲーム」に思えた。意識的かもしれないし、無意識かもしれないが、いずれにせよ、彼はヨシカワユウコと“トースト女”を両極に配し、ふたりの女のあいだで、自分なりのバランスをとっていく。
 日々、銃に惹かれていくトオル。やがてカバンに入れて持ち歩くようになった。その刺激は、トオルをさらに高揚させていった。そんな折、トオルのアパートをひとりの刑事が訪ねてくる。刑事は、トオルと銃のすべてを知っているようだった。部屋に入ろうとする刑事をなんとか防いだトオルだったが、喫茶店に移動して、尋問を受ける。「人間を殺すとね、不思議なことかもしれませんが、普通の理性でいれなくなるそうですよ」そして、刑事からある言葉が発せられたとき、トオルは後戻りのできない「どこか」に、否応なく踏み出していくのだった・・・・・。
 
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たぴおか的コメント     何を隠そう、この作品を観ることにした動機の95%くらいは広瀬アリスが出演することで、残りの5%は、100分を切るという短めな尺だったこと、村上虹郎とその父・村上淳が共演するという、私の知る限りでは父子初共演にも興味があったこと、だろうか。
 まず手始めにどーでもいいことから言わせてもらうと・・・・・村上虹郎演じる西川トオル、お前は一体何本タバコを吸うんだ!?ってこと。とにかく強烈なチェーンスモーカーで、おそらくは煙草を口にしないカットがなかったかもしれない。観終えてから、作品中で何本の煙草に火をつけたか、数えてみなかったことが残念に思えた。正直、観ている方が吸い過ぎで気持ち悪くなりそうな、それほどのヘビースモーカーぶりにはさすがに辟易してしまった。
 ほぼ全編がモノクロ映像というのが、この作品の最大の特徴だろう。そして、観ているうちにモノクロであることは忘れてしまっていて、「あ、これってモノクロだったんだ」と思い出したのはラストシーンの鮮血を観た時だった。もしかしたら、モノクロのシーンはすべて西川トオルの回想で、最後のカラーの場面がだけが現在なのかも知れない。そう考えると、彼のナレーションが随所に入るのも納得できる。
 拳銃を手にしたことで変わっていく一人の大学生。大抵の人間ならば、銃を拾ったら真っ先に警察に届け出るだろう。かく言う私も、そんな小市民のひとりだ。けれども、だからと言って銃を隠し持ってみようかと少しも考えないワケじゃなく、銃を持って帰りたいというイタズラ心は人並みには持ち合わせている。にもかかわらず警察へ届け出るのは、決して理性が勝るとか、道徳的に正しい選択をするなんて事じゃなく、ただ銃を隠し持つことで引き起こされる最悪の結果を考えると、持たない方がいいという計算が働いているだけ、早い話がヘタレなだけなのだ。
 最初は銃を持っているだけで、あたかも自分自身が強くなったような錯覚を起こし、ついつい気持ちが大きくなって、おそらくはその言動すら無意識に変化するものなのだろう。そして、人間の欲望には際限がなく、次第にエスカレートしてくる。銃を持つことに慣れてしまうと、次に実際に何かを撃ってみたくなる。例えば、人がまず訪れることのないような山中で、空き缶を標的にしてみるとか。それにもでも飽き足らず、次は止まっている標的ではなく、動く標的=動物を撃ちたくなる。そして、動物にも満足できなくなり、究極の標的=人間を撃ちたくなるのだろう。おそらくその頃には、銃で人を撃つという行動に伴う結果を考える、理性のブレーキはすっかり麻痺してしまっていると思われる。ちなみに、いつ登場するのかとヤキモキさせてくれて、やっとラスト寸前で登場した村上淳が、その標的になるとは微塵も予想していなかったけど(笑)。