評     価  

 
       
File No. 2900  
       
製作年 / 公開日   2018年 / 2018年11月23日  
       
製  作  国   日  本  
       
監      督   山下 敦弘  
       
上 映 時 間   124分  
       
公開時コピー   家族なんていらねぇ。
俺たちは空だって飛べるんだ
 
謎のロボットが彼らの未来を変える
不器用だけど真っ直ぐ生きる男
たちの人生活劇
 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
キ ャ ス ト   山田 孝之 [as 権藤右近]
佐藤 健 [as 権藤左近]
荒川 良々 [as 牛山]
石橋 けい [as 水沼多恵子]
首くくり 栲象 [as 金城銀次郎]
康 すおん [as 水沼]
松 たか子 [as バーの女]
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
あ ら す じ    人間同士の交流が希薄になり、打算的な生き方をする人々が増えた都会の片隅で細々と生きる権堂右近は、あまりにも純粋で、信念を曲げることが出来ず、世間に馴染めないアウトローだった。
 あるハロウィンの夜、カラオケバーで仮装しバカ騒ぎする若者たちを横目に、酒を飲みながらイライラを募らせていた右近は、ついに怒りを爆発させる。きっかけは、隣りで「バカみたい・・・」と漏らしながらひとり飲んでいたOL風のが若者たちに誘われるままカラオケで熱唱し、男からのキスを躊躇することなく受け入れてしまったことだった。右近は、男の頭に激しい頭突きを放ち、店内は大騒ぎになる。そのまま爆睡してしまった右近が目を覚ますと、虚ろな目に飛び込んできたのは、商社マンの弟・権堂左近が、代金を払いながら店主に詫びを入れる光景だった。
 そんな右近の仕事は、怪しい結社を組織する活動家・金城銀次郎と、その番頭・水沼が、群馬の山奥で進める埋蔵金探しの実働部隊だ。共に働く精神薄弱気味の牛山だけが唯一心を許せる友人だった右近は、女性を知らない牛山を不憫に思い、何とかしてやりたいと考えている。
 ある日、そんな彼らの、自由でどこか呑気な日々が一変する出来事が起きる。住所不定の牛山が住処にする廃工場で、古びた謎のロボットを発見したのだ。牛山はすぐにそのロボットを友人のように受け入れ、自分たちに寄り添うロボットに次第に親しみを覚えた右近も「ロボオ」と命名して友情関係を深めていく。
 やがてAIの知識もある左近が、ロボオが見た目とは違い、現代科学の水準を遥かに凌駕する高性能であることを突き止める。「ロボオの人工知能があれば、埋蔵金の発掘なんてちょろいぜ!」と主張する左近に導かれ、群馬の山奥へと向かった3人と1体は、ロボオの能力を使って100憶を超える本物の埋蔵金を見つけてしまうのだった!
 左近が握る埋蔵金の行方、悲しい牛山の過去、出戻りの水沼の娘・水沼多恵子と右近との禁断の恋、会頭・金城の失踪。この腐れきった世の中で、ジレンマを抱えながら生きる彼らの運命は何処へ向かうのか・・・・・?
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
たぴおか的コメント    山田孝之に荒川良々、さらには佐藤健というちょっと見られないような組み合わせのキャスティングにそそられて劇場鑑賞してしまった。カメレオン俳優とも言われている山田孝之だが、この作品のようにだらしない風体の役柄が実によく似合っている。コメディなんだけども笑うに笑えないブラックな感じ、それを支えているのがまぎれもない山田孝之であり、彼を上回る怪演を見せてくれている荒川良々だ。そして、驚くべきことは今人気も最高潮で爽やかなイメージがあふれる佐藤健が、山田演じる右近の弟・左近役で、ワンカットのみのカメオ出演なんかじゃなく堂々と準主役を演じていること。彼の女性ファンがこれを見たら引くんじゃないかな?
 『ハード・コア』というタイトルが、どうしても内容と結びつかないのには困る。むしろ、ハード・コアとは対極に位置するような作品じゃないだろうか。社会の枠に収まることを拒絶して、不器用ながらもその日その日を生きる山田扮する右近に、彼にとって唯一の友人であろう、知的障害を持つと思われる荒川扮する牛山。そんな2人がある日謎のロボット(ロボオと命名)を発見し、この2人+1体に右近の弟・佐藤健扮する左近が絡んでくるといった構図だ。
 右近は牛山を、左近は右近を、おそらく心の奥底では相手を自分より下に見ているのだろう。けど、それでいて決して上から目線で接することもなく、「実はコイツら、いい奴じゃん」と思えるのは救いだ。だからこそ、左近は膨大な金貨を持ち逃げすることもなく、約束通り兄の元へ駆けつけたワケで、左近の株がグッと上がる。ところが、そこには早合点をしてしまった右近と牛山の姿はすでになく、その痛烈な皮肉に嬉しいやら哀しいやら、言い表しようのない複雑な心境にさせられる。
 そう、この複雑さこそこの作品の真髄じゃないだろうか。「1+1=2」という数式のように理論整然と割り切ることができない、観る者によって受け取り方が異なるような曖昧模糊さ。ただの下品な作品と感じる向きも少なくないとは思うが、私は個人的にはこういった作品も嫌いじゃない。ラストではそれまで填められていた社会という枠組みを取っ払うことができた右近と牛山、これは間違いないハッピーエンドなのだから。