評 価
File No.
2904
製作年 / 公開日
2017年 / 2018年11月30日
製 作 国
アメリカ
監 督
バハラット・ナルルーリ
上 映 時 間
104分
公開時コピー
誰もが知ってる魔法のことば。聖なる秘密が今明かされる。
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最初に観たメディア
Theater
Television
Video
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キ ャ ス ト
ダン・スティーヴンス
[as チャールズ・ディケンズ]
クリストファー・プラマー
[as エベネーゼ・スクルージ]
ジョナサン・プライス
[as ジョン・ディケンズ]
モーフィッド・クラーク
[as ケイト・ディケンズ]
アナ・マーフィ
[as タラ/過去の幽霊]
ドナルド・サンプター
[as ハドック/マーレイの亡霊]
マイルス・ジャップ
[as サッカレー]
サイモン・キャロウ
[as リーチ]
ジャスティン・エドワーズ
[as ジョン・フォースター/現在の幽霊]
ミリアム・マーゴリーズ
[as フィスク]
イアン・マクニース
[as チャップマン]
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あ ら す じ
1843年のロンドン。落ち目となったベストセラー作家の
チャールズ・ディケンズ
は、これから子供が増えるというのに、家の改修費用にも事欠く有様だった。友人でエージェントの
ジョン・フォースター
と出版者へと足を運ぶが、原稿料の前借りも断られてしまう。
起死回生を狙って新作の構想を練っていたある日、チャールズが耳にしたのは、アイルランド人のメイド、
タラ
が子供たちに聞かせていたクリスマスのストーリーだった。それは、彼女の祖母が語ってくれた、「クリスマス・イヴの日にはあの世との境目が薄くなって、精霊たちがこの世に訪れる」という話だった。
ロンドンの街角で子どもが煙突掃除夫として売られている場面に遭遇した夜。墓地へと迷い込んだディケンズは、奇妙な老人と出会う。偏屈そうな老人の「くだらん」という言葉にインスピレーションを得たチャールズは、猛然と筆を走らせる。主人公はケチな実業家。仲間が死ぬ。だが泣けない。大事なのは金だけというキャラクターだ。
そしてクリスマスイヴ。超自然的な導きから始まり、主人公がいかに哀れで利己的なのかを描き出す新作の構想を持って出版社へと向かうが、「今どきクリスマスなど誰も祝わない。クリスマスの本は売れない」と、反応は芳しくなかった。チャールズは「クリスマスは一年に一度人々が心を開く日だ」とアピールするが、時はすでに10月半ば。クリスマスまでに本を出版するためには、あと6週間しかなかった。
書斎で物語の主人公となる老人の名前を考えていた彼が「
スクルージ
!」とひらめいた瞬間、スクルージ老人が部屋に現れる。「この言葉から何を連想する?」というディケンズの言葉にスクルージは答える。暗闇=安い、愛=詐欺、カネ=安心、子ども=役立たない、救貧院=有益・・・・・そして、消えてしまうのだった。
そんな折、自腹で費用を払い新作を出版しようと決意したディケンズの前に、金にだらしがなく浮草のように生きるトラブルメーカーの父
ジョン・ディケンズ
がやって来る。チャールズはスクルージや彼の前に出現する3人の幽霊からの助言を得ながら執筆を進めるが、それは心にしまいこんでいた過去の記憶や父との確執とも向き合う心の旅でもあった・・・・・。
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たぴおか的コメント
予告編を観た限りでは、あの不朽の名作『クリスマス・キャロル』の作者であるチャールズ・ディケンズが主人公であることはわかるのだが、彼の前に小説の中の架空のキャラクターであるスクルージが現れるために、一体どんなストーリーなのか興味津々で劇場に臨んだ。
端的に言ってしまえば、『クリスマス・キャロル』誕生にまつわるエピソード、といったところで、スクルージや3人の幽霊たちは、彼の頭の中(あるいは心の中)にいて、彼らとの対話はすなわちチャールズの自問自答となるわけだ。通常、洋画の、特に実写作品は極力字幕版で観ることにしているのだが、この作品“超訳吹替版”とやらにも興味を惹かれ、吹替版を選択。もっとも、地元船橋市近辺の劇場で、字幕版の上映は見当たらなかったのだが。
幸い、声と顔が一致している役者がクリストファー・プラマー一人というのもあって、違和感なく観ることができた。そのクリストファー・プラマーにしても、吹替を担当する市村正親が上手すぎる(笑)。ひねくれ者・スクルージそのもので、違和感なんて微塵も感じることがない。これほど吹替版に集中できたのは、初めての経験かもしれない。
それにしても、自分が創り出したキャラクターと対話しながらストーリーを練るとは、なかなか面白いアイデアだ。頭の中の構想を単純に映像化するのは容易じゃないし、それを見せられてもおそらくは退屈してしまうだろう。だから、スクルージらキャラクターを実際に登場させ、チャールズ・ディケンズ自身と対話させることによって、彼が想定しているキャラクターの性格もより明確になるし、観ている側としても、偏屈じいさんのスクルージには退屈することもないだろう。