評     価  

 
       
File No. 2916  
       
製作年 / 公開日   2017年 / 2018年11月23日  
       
製  作  国   アメリカ  
       
監      督   トレイ・エドワード・シュルツ  
       
上 映 時 間   92分  
       
公開時コピー   外には恐怖。中には狂気。  

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   ジョエル・エドガートン [as ポール]
クリストファー・アボット [as ウィル]
カーメン・イジョゴ [as サラ]
ケルヴィン・ハリソン・Jr [as トラヴィス]
グリフィン・ロバート・フォークナー [as アンドリュー]
ライリー・キーオ [as キム]
 
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あ ら す じ    森の奥深く。ある一家が夜にやってくる“それ”の感染に怯えながらひっそりと暮らしていた。家族は父・ポール、母・サラ、17歳の息子トラヴィスの3人。もはや人類は残り少ないのかもしれない世界で、ポールにとって外部はすべて脅威で、家族以外の人間や世界のことは頭になかった。
 ある夜、一家の元に恐れていた来訪者がやってくる。感染者かと思われたその男はウィルと名乗り、妻・キムと小さな息子のアンドリューのために、水を手に入れようと人気のなさそうなポールの家に侵入したと言う。
 一触即発の雰囲気の中、ウィルは自分たちには十分な食糧があるから水と交換をしてくれないか、と交渉を持ちかける。食糧が欲しいポールはその交渉をのみ、ウィルの指示のもと、80キロ先の廃屋に身を潜めるというウィルの家族を迎えに車を走らせる。そして数日後、ポールがウィル一家を引き連れて帰ってきた。
 迎え入れられた新しい家族とともに、初めて一つのテーブルを囲んだ夜、ポールはこの家のルールを話し始める。それれは夜来る“それ”の感染を防ぐために「夜、入口の赤いドアは常にロックする」こと。この決まりに従うことを条件に、彼らを受け入れることにしたのだ。
 父ポールの支配下で、家族だけの暮らしを続けてきたトラヴィスにとって、新しい家族、とりわけウィルの若い妻・キムの存在はなかなか刺激的で、家の雰囲気も少しずつ変わっていった。交流が増えるにつれ、互いに心を開き、上手く回り始めたかに見えた集団生活だったが、ある夜、赤いドアが開け放たれていたことが発覚する。
 誰かが感染したことを疑うも、今度はポール一家の犬が何者かによる外傷を負って発見され、さらにはある人物が不可解な発言を口走る。“それ”の正体とは一体何なのか?疑心暗鬼に陥った彼らは、予想だにしない結末へと突き進んでいくのだった・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    私にしては珍しく、公開1週目に見送ったものの、後になってだんだん気になってきて、公開から1ヶ月後にやっと劇場へ行く気になった作品。そして、公開時の初志を貫徹すべきだったと、思い切り後悔させられた。
 そんなわけで、通常ならネタバレを避けて伏せ字にしたりするところだが、今さら私のこのサイトを見てから劇場でこの作品を観ようなんて人はまずいないだろうし、この作品にはそんな手間をかける気にさえならないため、敢えてネタバレのタブーを犯そうと思う。
 まずは、作品のタイトルは“NOTHING COMES AT NIGHT”の間違いだ。夜になったら現れる“何か”から父・ポールは家族を守ろうとしている・・・・・なんて思わせておいて、その実夜になっても何も来ない。実はこれも数多い“感染もの”の亜種なのだが、他の作品と異なるのは、襲い来る感染者がスクリーン上に一切登場しないのだ。
 感染だから、そもそも昼とか夜とかの区分が無意味で、感染するときは昼間であろうが夜間であろうがそんなことは関係ない。そして、夜になっても何も訪れないことがわかってしまうと、疑心暗鬼に囚われた人間の心理を描いたサスペンスってことになるのだが、そんなサスペンス作品として観ても緊迫感に欠ける。なぜなら、何者かがポールの家族を襲うことは決してないからで、何を隠そう最も危険な人物があろうことか主人公のポールなのだ。
 だから、何者かが赤いドアを開け放ったのだが、それが誰であってももうどうでもいいし、何の目的があってそうしたのかもどうでもいい。また、飼い犬に誰が傷を負わせたのかも同じくどうでもよければ、その目的もクドいようだがどうでもいい。つまりは、あらゆる伏線と思われる設定がすべて無意味になっているのだ。そして、それらをすべて無意味にしてしまっているのは、“それ”なる何かがいかにも存在するかのように錯覚させるタイトル“IT COMES AT NIGHT”なのだ。